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2018.09.18

キリスト教的永遠の生命論の研究(1)次々と起こる奇跡、で父にあった話

 

 「工手学校」(工学院大学)史に触れた話、を書くことになった。

 のは、偶然である。そこで、父に会った。もちろん明治41年生まれの父が、生身の人間として蘇ったというのではない。単に、工学院大学史から、おぼろげだった父の姿をはっきり確認できた。という、ことである。1910年が大逆事件、とい歴史書にはある。

 1910年は、明治43年。父が生まれて数年後の、大事件である。

 そんな事件と、私が関わったのは明治学院や基督教の中からである。その父から生まれた、私は1941年生まれ。それが、なぜ大逆事件なのであるか。おかしな話である。父が、その事件をひきづったのは、関係者だったからではない。事件の全体のスケールが、日本の社会史であり基督教と関わり、社会主義と関わるところから、このように関わる、と書いてはばからない。工学部の学校史に、明治女学校がでる。そして島崎藤村もでる。呆れた。

 その上、事件は世界史と連動する。

 普通では考えられないことであるが、世界史とかかわり。その世界史が、つづめていえばキリスト教史なのだ。えらい騒ぎであるが。同時に絵画活動も、それ(西洋史)と関わる。だから、絵画を大学などで専門に勉強すると、やはりここに至らざるを得ない。気の毒であるが。真面目な絵描きであればあるほど、この苦しい勉強をしなければすまなくなる。

 すでに書いたことであるが、石膏のミロのヴィーナスを買った。改めて観ると、実に名作だ。それで、画家はギリシャ美術にも目覚める。私の数少ない友人の画家も、その1人。そして、聖書へ。多少のズレはあるが、聖書とビーナスは同時代だ。共に優れた作品である。

 ここまで知識が進むと、一段と面倒になる。引き返したくなる。が、引き返すことはできない。前に向かって、前進あるのみ、か。いや、この辺りで、引きかえすのが賢明というもの。深い森など、とても抜けて行けるものではない。開ける平野がある、と誰も保証できない。父は、そんな風にして建築設計業界に足を踏み込んだ。時は、その後激動に激動を重ねる、と我々は知っている時代だ。

 明治末年生まれ、大正が始まる昭和2年、世界恐慌。そして大正12年関東大震災。それで工手学校は消失、今の新宿に移転する。神田左官屋の次男の父は、結局未来も不明のまま掘っ建て小屋の新宿工手学校に、徒歩で通う。そこまでは、本人から聞いていた。が、工学院大学史は、さらに詳細にそれを書いた。次回。  

 

 

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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