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2018.10.09

画家佐藤貢 論(その三)

 

 我らの年代はバブル崩壊の加害者であり、また直接の被害者、でもあった。

 と知らされた佐藤貢氏と、話をする機会に恵まれた。要するに、彼らはバブル崩壊の二次被害者なのだ、と言う話をした。あれからもさらに佐藤氏の本を読み、イスラマバードにたどり着いたところ。旅は複雑で、私などが説明はできないが、凄まじい。彼が、パスポートの件で関西弁で啖呵をきる場面がでる。

 当人にお聞きすると、本に書いたのはそのごく一部で、現実はもっと凄まじかったですよ、と説明してくれた。とても温厚な素晴らしい人であるが、引きこもりの自分をよくここまでにした、と思ってしまった。

 彼はやはり旅で知り合った、孤独な人から一緒にパリに行こう、徒歩で行こう。旅費など、私がなんとかする。パリに行けば叔母が画家をやっていて、なんとかなる。と、しっつこく誘われ、君はパリにいかねばならない、とまで言われる。その前に誘ってくれた人が、近くの「風の谷」に行こう、と言われついて行った。

 この世に、こんな美しい村が、あるのか。「行きます、パリに」となる。

 この辺りまで、読んでまだ先は読んでいない。まず、イランに入国しなければならないらしい。要するに、徒歩なのだから。こんな、さまよえる日本人がいたのだな、なんと餓鬼道は、このような放浪の民を産んだのである。それほど、辛い社会現象だった、と私も思う。

 あれから、不況に20年、景気は平常平穏、と言う状態ではない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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