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2018.10.14

永遠の生命の、西洋的展開

 

 今朝の毎日新聞、一面広告まん真ん中。紙面一番下。

 に、「あの世証言本」、というのが出ていた。

 いかにもアジア的、で日本的。昔からこの種の本はいつも出版されていて、一定の収益を確実に上げていた、ようだ。今は自分でもこのようなことを書いているので、つい目がいく。ヨーロッパには絶対にない広告で、では、ないか、な。そこで、実際生活をしていないので、わからない。ただ、旅行したウィーンをネタに、永遠の生命論を書きたいと構えているところに、このようなJapanese propaganda である。

 どうせ、死も近くなったインテリを狙って、いるのだろうが。

 財産もあり、子供も皆出世して、金持ちになって、さて、我が身をふりかえっると、何とやら。哲学なの、教養など、芸術など、腹の足しにもならないとした人たちが、読むもの、ではないか。わからない。若い時から、そんな架空の話を、読むものではない。架空でなくなるのは、このぐらいの歳になってから、いたって深刻であるが、ノイローゼになるほどの問題ではないし、実証不可能だとは、それは現実生活が長いので、よく知っている。話、である。

 もちろん実証する、といっているだろう。それも、あるいは、正しいであろう。そこで人間、実証とは、何か、という話になる。もちろん哲学であるが。

 どちらにしても、深刻に違いない。

 同情するが、土壇場は、確たること洋の東西を問わず皆同じである。要するに、西洋も東洋もない、とはいえ違いはある、のではないか。で、マーこんなことを書く羽目になったが、気になったので仕方がない。要するに、西洋と東洋では、このような違いがあるのは止むを得ない。西洋は、一口で言えば、いたって論理的である。これこそ、曲者であるが。ウィーンと深く関わったヒトラーの論法など、読んでもわからないが、論法である。そして、あのザマだ。

 私などの論理的教養派(クリスチャン)は、比較的西洋型で、腹の底を言えば。昔の戦後の大学進学率のいたって低い時に、大学に行ったものが、陥る人生の落とし穴である。最も昔は、死ねば棺桶で、深い穴の中に土葬された。私は、信州に住んでいた頃一度、その様(葬式)を目撃した。が、多分それは小学校入学以前のことではないか。自分だけの記憶なので、時期は不明だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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