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2018.10.17

永遠の生命の探求で、バルトを振り返ると

 

 この辺りになると、専門的に過ぎて、読むに耐えないかもしれない。

 ともあれ。バルトが若い時に牧師だった頃(神学者ではなかった頃)の意識を、その自伝から垣間見えるので、その文献を元に、私なりに要約しながら書いてみることにする。

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 私(バルト)は12年間牧師であったが。その時私の神学を持っていたが、私自身のものではなかった。私の恩師ヘルマンの神学で、それは私の故郷で(スイスの)与えられ、意識的にというより無意識的に受け継いでいた、改革派(スイスの宗教改革者、伝統的になっていたカルヴァンの信仰・約500年前)の立場であった。

 私は職務上その上に立ち、進んでそれを実行していた。それは接ぎ木のようなものである。

 この私の神学上の思惟の習性とは関わりなしに、牧師特有の「説教」という問題に突き当たった。それは今現在(約1900年代前半)の人間の生きる問題、と聖書の内容(約2000年前の)との問題である。その正しい道を見出そうと努めた。

 生の未聞の矛盾(世界は悲惨な大戦に向かっていると予想できる時期)、の中にある人間に向かって、「私」は牧師として、語らねばならなかった。が、しかし私はこの生の矛盾に一つの新しい謎、として対立する(ここが弁証法神学といわれるもの)、聖書の同じく「未開の使信」についても、語らねばならなかった。

 非常にしばしば、生と聖書という、この二つのもが私の前に現れ、基督教信仰の宣教において、どういう人が、牧師であるべきであり、またありうるのか、どういう人が説教すべきであり、また、なしうるかを考えざるを得なかった。

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 と、バルトは書いている。

 この意識がバルト神学という、読むのに難解なローマ書注解などに、表現されて、後日出版される。多分、この意識は宗教者特有のもので、あるにしても、この意識を誠実に実行できる牧師は、日本にはいないと想像される。し、日本には生まれなかった意識なのか。戦争に向かう日本の牧師に、この問題に苦しんだという記録は、あまり聞いたことがない。まさに、あの時のヨーロッパのそれも中立国スイスの、崖っぷち意識として、若いバルトは、牧師として苦しい立場を認識した、ということである。具体的には、ヒトラー思想との対決であるが。

 それはともかく、私(祖父ネット)は。教会生活で、この逆の立場、要するに聴衆の立場として。今までに書いたバルトの反対の意識、つまり私の牧師に対いする、戦後の戦争批判的精神としての状態、を軸とした聴衆的疑問こそが、私の信仰の本質である、と言って良いであろう。このようにしていつの時代でも、語るものと聞くものとが存在する、ことによって基督教の教会は成立してきた。

 これが、ヨーロッパ基督教の伝統である。今もあまり変わらないであろう。だから、語るという立場は、聞くという立場と拮抗し民主主義が生まれたのであろう。と、思う。のであるが。 

 

 写真はほぼ20年前のチューリッヒ近郊、実写。 

 

 

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