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2018.10.15

永遠の生命とコンピューターの世界

 

 計算で成り立つ非人格的な世界が、コンピューターの世界である。

 画像は幻影であり、アクセスは計画されたものである。あらかじめ始めから計算し尽くされた(あたかも計算しつくされた)、あたかも人間らしく感じるロボットが、自分の身辺にあって、それが支配しうる世界である。

 などと書き始めたのは、昨日もTHE FUKURO SHOSABO  でコーヒーを飲んだからである。妻が興味を持ち私にコーヒーをおごるというので、出かけた。妻はそこで二冊文庫を買って、読み始めたが目があまり良くない妻は、文庫の字の小ささにネオあげてしまった。買ったのは、あの場のその仕組みに魅惑されて、つい買ってしまったのであろう。

 で、私が読むことになった。「星を継ぐもの」ジェイムズPボーガン、創元SF文庫。で、所詮永遠の生命なのである。それが、作家ボーガンは2010年に死んで。ところが生まれたのが、1941年、つまり私と一緒だ。私が生き残り、ボーガンは死んだ。その書いたプロローグの一部。

 本能的に彼は意識の回復を嫌った。彼はあたかも何らかの意志の力によって、無意志と意識の隔たりを埋める容赦のない時の流れを押しとどめ、極限の苦痛とは一切の縁のない無窮の非存在に立ち帰ろうとするかのようであった。

 と、書いた。いかにも非存在という言葉を生かす唯物論の世界を作り上げた、アメリカの青年、である、なと思った。要するに正直な秀才なので、ある。私も若い時、マサチューセッツ工科大学の入学案内書を取り寄せた時、超真面目なハンサムでおとなしいアメリカ青年、と話したことがある。そんなことを思い出した。

 内容は、月面調査隊が、真紅の宇宙服をまとった死体を発見した、という内容である。

 結局私が読むのであるが、マイケルクライトン(ジュラシックパーク)を失った今、再び読めるSF小説かもしれない。最近の朝は少し本格的に寒くなった。私は神派なので、友人の健康を祈ってから、これを書いた。私は書店喫茶で、実はまだほんの少々読み残した、佐藤貢を読みきった。彼は、芸術の中に自由を発見し、自分のためにのみ作品作りをしている、と書いている。まさに友人の画家が実行した、作品「帰る場所」なのである。 

 

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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