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2018.10.12

永遠の生命という、こだわり

 

 は、祖父ネットの年齢からいって当然のことであろう。

 この問題は、なんどもいっているように、簡単ではない。

 のはいうまでもないが。西洋伝統では、神学がそれを担当し、その具体的な行動は神学者が行ってきた。神学者とは、何かと言えば、西洋の伝統の中にある神学校の伝統ある大学が、その権威となっている。ここの書きの権威者として利用しているのは、スイスの古い神学者ブルンナー である。

 彼は、今でも独特の権威を持っているが、決してノーベル賞とは関係のない世界である。いわば科学的伝統と宗教的伝統が共存しているのが、西洋で、それに依っている。私は西洋によるのを潔しとしないのであるが、このあたりのことになると、私のキリスト教では、独特のものを構築できない。やはり、西洋神学伝統に依らねば、残念ながらこのようなテーマは書けない。資料はあらかた揃えている。

 ところで、その西洋にも時々素人的オカルト人物が出て、人々を惑わすのである。が、これは世界中どこもおんなじである。人間理性は、ともかく限界を持っていて、永遠のなどという問題を冷静沈着に、普遍的に説得できるものではない。キリスト教の場合にネックになるのは、現状の教会である。が、そこにいる牧師と伝統教会の重さのゆえに人々は敬遠する。のは、西洋でも同じである。日本の牧師は、そのあたりは、全くの中途半端であるといえよう。なぜなら、彼に日本伝統を勉強してもらわないと、ことの深奥には至らないからである。そのようなことまで真摯に勉強する人物は、日本教会の牧師にはほとんどいない。

 ゆえに、今も、永遠の生命の教義をどのように納得するかは、各自の個人的判断に寄らざるを得ない。今では、このようなネット情報があり、万人に向いているとはいえないまでも、このように語るネットもあるのである。昔では考えられない。で、今は、朝から、これを書いているのは、昨日池袋ビックのマックの(病院・私はそう呼ぶ)に診察してもらいにいったからである。

 我がパソコン(マック君)が一段と快適さを増し、ワープロもいい書きなったので、何やらいろいろとりとめもなくまず書いた。マックは、立派にそのスタミナを回復した。と、思う。本当は、ブルンナー の「永遠」から、神の国は、、、などと書くつもりであったが、想がここに至ってしまった。お許しあれ。

 

 

  下の、この馬鹿でかい権威的なウィーンの教会は、私の実写(ヴィデオ撮影をスクリーンショット)であるが、現代史での奇怪な人物の代表ヒトラーも、これを見て建築家になりたかったのである。と、私は知る。彼の永遠の生命は、どのように説明されるので、あるか。彼が、順調に建築家の道を歩んでいたら、現代史の悲劇は回避されたのである、か。誰にも判断、できない。

 

 

 

 

 

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