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2018.10.06

画家筒井友美論

 

 ボナール、と言う救い、と筒井友美論。

 画家の筒井友美は。あのバブル崩壊のはじめの頃、武蔵野美術大学の学生であって、卒業してすぐ銀座で個展を開いた。そのときのバブルの崩壊は、絵画活動に影を落としたことは、言うまでもない。が、その中をめげずあれからの二十年、画家としての活動をやめなかった。と知ったとき、その勇気に感動した。

 と同時に、絵画というあまりにも厳しく美しい活動に粘り強く。常に高い創造の心ざしを持っていた、ということも知り、頭の下がる思いがする。これが、わたしの筒井論を書くきっかけである。しかしその間、世はまさに。不況二十年でもあったわけだから、絵画の活動というものが、近代社会では普通(世の中に普通は、ないのかもしれないが)でも厳しいものなので。この二十年は、さらに一層厳しいものであると想像できるところから。

 それを最近知って、ここすごく辛い日々だった、のである。

 画家というものは、職業だとすれば特異で高い職業であり。人間社会にあって高い文化的位置を占めるのは、いうまでもない。が、古代社会から近代社会にかけて、この道で生きた人は、多い。画業が、なければ人間社会でいわゆる文化程度を向上させるものは、そうあるものではない。音楽、絵画、彫刻と良く言われるが、それはそれぞれの性質や、非実用性の中に内在された文化に対する、なにものか、が詰まっているからである。

 人々は、それに密かにエールを送っている。

 現代技術には、明らかに欠点がある。それは、自然の破壊である。技術は徹底的に人間的なものであり、その資質の本質は非人間的なのではないか。その上技術が、ますます人間性を超え出せば、人間そのものさえ破壊する力がある。神は創世記で、知恵の木の実を食べる、なかれ、と注意した。のは、絵を描くなと言ったのではない。

 絵を描くに止まれば、人間はもっと豊かになっていたのではないかと、思える。

 それが、絵画である。しかし、人間は知恵の木の実の、禁断の木の実を食べてしまった。それをますます発展させ、技術的に豊かになって、しまった。今更、しまった、と言って見ても。もはや遅い。のは、聖書のはじめに書かれていることに過ぎない。

 筒井が絵画を描き始めたのは、幼児絵画教室に縁があって行きたい、と親に言ったというところから始まる。まさに宿命に近い。絵を描きたいと言った幼児の、その瞬間に筒井友美の画道は備えられたのである。

 あとは、絵画道の凸凹が待ち構えていた。

 が、めげないでピエール・ボナールに至ったという。昨日ネットで改めてボナールを真面目に観た。わたしはガッチリ派で煮ても焼いても食えない画家であるから、ボナールのような甘い絵画は、今までもマチスばりの室内装飾の限界が限界で、それを超えていない。せいぜい、黒のガーッと太い線で描くあの頃の単純な人生への抗議のような、激しい時代だったあの時代の世代なのである。その次の、生活の穏やかさと高さと幸せとを語りたい世代の筒井友美は、ボナールに至ったのだな、と思った時。

 わたしの心は納得した。

 穏やかで日常的。かつ大和の日本的なものに触れたボナールを愛した画家が、筒井友美なのか。と知った時、何か希望という、日本を再び復興する人たちの若い魂が。あの崩壊(バブル)の最中から生まれていた(ヴィーナスのように)と、わかった。瞬間に、わたしは安らいだ。

 それほどわたしがバブル崩壊のまん真ん中にいて、そうすると危険(社会正義として)であると叫んでいたキリスト教徒だった、あの時の自分を思い出すのである。でも、それでもやはり幸せなわたしの人生は、ボナールの穏やかで美しいとらわれないフォルムを最後に真似して観たい、と思い至ったのは。画家で友人の筒井友美世代からの、旧世代への最大のプレゼントである。と、思わないわけにはいかないのである。

 と、ネット情報を見ながら、下記にそれを転載させて頂く。  

 

 

 

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 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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