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2018.10.05

絵画を書く(二)

 

 ピエールボナール、

 が好きだという画家筒井友美とコーヒーを飲む機会が与えれれた。

 そこでボナールを改めてネットで確認した。いい絵だ。わたしなどはかっちり描きすぎるから、若い時は、ダメだったが。今は、逆だ。ボナールが、いい。あの、とらわれない、決めない、さまようような世界。

 一方。藤田嗣治も読んだ。「腕一本・パリの横顔」、である。

 筒井は、この画家が嫌いだ。なるほど、わかる。藤田は明治19年生まれだもの。それは1886年。パリに行った時、逃げて来た藤村とあう。ぐらい古い人だ。わたしの父が明治41年生まれ、だから。えらく古い人なのである。島崎藤村、は明治学院の売り物作家である。が、姪と不倫をしてしまい、子供まで作る。そこからの逃避行で、パリで逼塞する。だから、幸いに教科書にならない。

 そこで、若き藤田と会う。わたしの父が、前田健二郎建築事務所の所員だった時、銀座資生堂の喫茶店の設計をした。現場で、藤田は壁画を描いていた、と父はいっていた。ともかく古い、そのかっちりとした描き方は今、ホキ的詳細画としてなんとか、テレビハイビジョンと対抗している。絵描きの、苦しみそのもの。苦しすぎて、見ていられない、目をそらす。と、惹きつけられる。

 その対極がピカソ。藤田は天才ピカソと。渡仏して「パリについて間もなくピカソの家にスペインの画家オルチスに連れられて行った。」とある。ともかく古い、人だ。一方ボナール。なんと自由だろう。形を崩さず、それなのに人間実景を書く。描きながら、人間を説明しない。

 雰囲気で書く。自由に、筆を進める。色彩を展開させ、上にしたに右に左に自由に。思うところに着色、して行く。それを画家筒井は好んだ。筒井の生まれは1978年。藤田の生まれが、1886年。その差、92年、100年に少し足りない。

 

 藤田展はいま開かれている。が、筒井は興味がないという。ごもっとも。で、この差を考えるわたしは、コーヒーを飲みながらあのバブル崩壊の世界を思い出していた。そんな話をした。筒井が、画家として売り出した頃、日本はバブルがはじけた。若い純情な筒井は、銀座で個展を始める。世間が、はじけたバブルの現在の結果など、予想もせず何も気にしていない、の出発だった。当然だ。武蔵野美術大学を出て、嬉しかった誇らしかった、いよいよ画家。だと、思ったその時の、その顔が目の前にあった。画家は、まったく純粋である。頑張れ。いいね。

 夕方になり、小雨が降る中を自転車で帰って行った。やや登りの坂道をぐっとたくましくペダルを踏み込んで、体を上下にリズミカルに動かし、堂々と帰って行った。幸せないい画家だと、とわたしは思う。自力で生きる筒井を、頼もしく見送った。あの人はきっと幸せに、だ、と確信した。

 藤田は、晩年フランスでキリスト教徒になる。教会まで寄付して、天国で復活した、とおもう。

 下の絵はネットから、ボナール。と筒井友美の個展「帰る場所」。ボナールの画題は「コーヒー」油彩。

 

 

 

Photo

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

 

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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