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2018.11.08

永遠の生命と地獄論の発見の経緯

 

 頭書のこの概念、または意識。

 

 は、どのように生まれたのであろう。

 もちろん詳しく説明しなければ、ならないだろう。急に、血圧も上がってしまい、健康診断の最後はさんざんだった。それまで忘れていた(高血圧症)ことが、急に浮上してきた。が、いくつかの検診基礎データーは、異常なく。かかりつけの医者も何にもありません異常なし、で胸に聴診器をあてていて、今から考えるといつもと少し、ほんの少し変わった反応が見えた。きっと、高血圧の内的反応があったのだと思う。が、その時は気がつかなかった。聴診器による内的診察の、意味がやっとわかった。

 で、血圧を測る。で、全く異常な数字がでた。私は、その原因をアンデンドゥコーヒーの塩クロワッサンにある、と気づくのはかなり後である。が、その時は久しぶりなので、びっくりした。仕方なく、新たな血圧計も買って(何十年ぶりで、あまりに発達していて、びっくりした)、測りながらの書きである。

 つまり、今まで、全くプロテスタントのキリスト教徒である自分、にはなかったこの地獄論。も、高血圧の遠因であると考えざるを得ない。人間の精神性は、病的になる場合も十分に、ある。それほど、新鮮で強烈だった。なぜなら、プロテスタント生活で、地獄論を明確に聞いたことは、一切なかったからである。まさか、明治学院の高校の教科書(ブルンナー著)に、ここまで書いてあったとは、知らなかった。

 正直にいえば、読んだと言っても全部読んだわけではない。拾い読みで、あれでは(過去の思い出としてみれば)読んだ、とはとてもいえないものである、と言わざるを得ない。だが、影響されて洗礼は受けた。ので、読んでいないというのも、いささか疑問がある。ともあれ、教科書など、どの教科書も読みか切ったことなど、ない。

 芸術家のロスコ(画家マークロスコ)は、多分当時流行りの唯物論者だと、推定している(まだ読みが中途半端)。尊敬している画家が推薦する画家ロスコは、実に気分のいい画家で。そのすっきりした画面は、平面の中に哲学を塗り込んでいるような人である。

 その画家が、もしユダヤ教徒であれば、神を信じていたであろう。アメリカで暮らしたから、キリスト教かもしれないが、多分その描き方から、彼は無神論的に書いたと思われる。が、それは芸術の精髄である。芸術の精髄には、他者論はないのかもしれない。あくまでも、絵画精髄論、として自己目的的思考、ないし創作だと思う。

 もし、彼が、何らかの宗教を信じていたとすれば、彼の絵画は他者的であり、自己的ではない。

 つまり、画家は外界という対象を持つ。自己的であれば、対象はあくまでも自己であり、内的であり、内在的自己(難しい表現であるが)が目的である。が、これを目的的というのは、哲学的に難しくなる。ので、ここでは内的なものは自己以外に対象を求めない、と仮定しておこう。内的でも、厳密に言えば他者的である、なぜなら自己を書く、描く(自画像)、ことであるからである。対象が自己である、ことは外側から見れば、内的である。内外一体、と思える。この話は、難しすぎる。

 ロスコは、内的であり、自己的であり、自己完結的である。と、すれば、地獄は存在しない。

 地獄とは、宗教的対象であり、画家で言えばモチーフが外界という、他者である。つまり、宗教とは、内的か外的か、であるが。地獄の存在、というこの場合は。それは、外的である。人間の意識や概念の対象であり、人間外に存在する、つまり宇宙の外側にある、外界にある、存在する対象、ということになる。ブルンナーは、対象としての地獄を書いた、と言えるだろう。

 前に書いた、我思うゆえに我あり、のデカルトは、近代哲学の祖と言われる。この我思う、に地獄は存在しない。この我に、地獄に至る道がある、と説明するのが、ブルンナーである。地獄のようだ、地獄の様だ、というのは外界的である。が、地獄はある程度概念的に想定されている。が、それは地獄という外界の様と、自己の言語的意識構成が一致している事から、くるのであろう。

 が、ブルンナーの場合、地獄は論法として、外側にある。天国も、また同じ次元であると思う。だが、このあたりが、面倒なのであるが、聖書にあるイエスの天国論は、内的である、という箇所があると記憶している。が、どこに書いてあるのやら、今のところわからない記憶にすぎない。

 ともあれ、ブルンナーは地獄を書いていたのである。で英語では HELL であるが、ドイツ語書きの原文を英文に訳したイギリス人、JOHN  W. RILLING は 確かに HELL (地獄)と訳しているから、地獄、なのであろう。プロテスタント(キリスト教新教)にも、明確な地獄論は、あったのである。

 うかつにも、今まで、全く知らなかった。だから、これからが大変である。ダンテの「神曲」は、今まで他人事、つまりカトリック的他人事に過ぎなかった。が。これからは、自己的である。嫌な概念だ。

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 下は、ロダン作「地獄門」西洋美術館、実写。

 

  

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