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2018.11.10

永遠の生命と地獄論の発見、その二

 

 若い人にとって、地獄論、などといっても全く興味はないと思う。

 私も、若い時に「そんなものに」全く、全然、興味などなかった。興味があったのは、若い女だけで、楽しくいきて、苦しくいきて、わからなくいきて、幻惑的にいきて、さまよって、いたにすぎない。

 が、だからブルンナーが教科書であったとしても、それを少しかじっただけで、ブルンナーという人がわかっていたわけではない。ただ、教会にもいき、それなりにコツコツ、実務の脇で神学や内村鑑三を研究していたから、いつの間にか、明治学院の高校の教科書も、研究していたのである。

 で、内村が地獄をどう書いたのか、楽しみだったので、索引で調べてみたが、全然一言も触れていない。と、わかった時はがっくりきた。さすがの先生も、そこまでは、できなかったと見える。

 で、諦めて、ここまでブルンナーが地獄を書いたのだから、その経緯は真面目に説明しなければならないだろう。その説明は、全然真面目で当を得ていて、間違っていない、と思う。あの頃、すなはちブルンナーが「我らの信仰」を書いた1935年すなはち昭和10年の、世界はあの大戦(地獄)に向かって急激な激動期に入っていたのである。

 日本も明治維新以来ロマン時代の大正をすぎて、そんなことは言っていられない、激しい思想的混乱が始まっていた。その思想混乱は、また社会の混乱であり、どうすることもできない大津波に似ている。が、せっかく築いた堤防は、無残にも破壊され、高さもこれぐらいあれば(10m)と思っていたところ、あっさりそれをも越され、まして原発の施設にまで、入り込まれ、あの程度で治ったのが、不思議なような気がする。が、毎日今も、ユーチューブを見ている私は、ほとほと、これは地獄であるな、と思ってみている。

 実際、津波が押し寄せる場面で、地獄だー、地獄だーと叫んでいる動画もある。し、街だった場所がほとんど、水没し、まるで海のようになり、そこをドンと流れている無数の廃材となった、無数の雑多な家屋の木片は、地獄としか表現のしようが、ないのである。まして、ニューヨークに、貿易ビルに。二機の飛行機が突っ込み、あの立派な建物が崩壊していく様をみていると、まさにここは(地球)地獄だというしか、ない。

 が、神経質に言っても仕方がないが、ともあれ、若い時とは違って、老人となって、地獄の深刻さに思い至るから。ブルンナーの偉さが、偲ばれる、のである。  

 

  もっと、書きたいが、今日は疲れた。

 

  

 

  下の写真はロダン作、「地獄門」上野西洋美術館で実写。 

 

 

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