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2018.11.13

永遠の生命と地獄論の発見

 

 教会というものが、いかにつまらないものであるか、という経験をした。

 よく知る教会の、最近の、その妙なカルヴァン派的官僚主義は、鼻についた。

 教会はしかし、なければならない。で、理想的教会であるが、思い描けない。なぜなら、それが、イエスの言う永遠の生命、にしかないからである。地上の教会は、地獄の教会である。経費がかかる、形式が定まり固形化する。個人の、特に牧師の独善がはびこる。はじめ若く謙虚であった牧師も、経済問題に絡み始める。自分の子供が成長し、家計に経費がかかるからである。負担は信者に押し付けられる。それが、知らず知らず、牧師の深層を侵しているが、自分では立派な牧師だと思っている。

 先生と呼ばれることに満足し、日曜日の説教も研究心が薄れる。そこが(教会)、経済的に安定していて、建物が立派で、壮麗であればあるだけ(信者も多く安定している)、そこを愛してしまい自己埋没して傲慢になる。その教会に、しがみつく。

 こうして自己崩壊(イエスから逸脱する)する牧師は、絶えない。

 もともと、せいぜいが150年の経験しかない日本の教会は、欧米の教会の悲惨と罪深いミスの経験を持っていない。宗教改革は、ヨーロッパを疲弊させた。ヨーロッパの精神は、崩壊寸前となって大混乱する。カトリックプロテスタント共に、その闘争史は悲惨というほかはない。

 日本にそれはない。歴史が浅く、双方で闘争するほどの、実体を持っていない。が、ここまで明治以来の経済的富が蓄積されると、いよいよ怪しい。牧師はますます、傲慢の度を加え、信者を搾取する。講壇から、人間の罪を叫び、信者に恐怖心を与え、ますます教会への依存度をあげて、献金を収奪する。壮麗になって行く教会は、信者を呼び、まるで、そこに救いがあるかのように感じるようになり。日曜日ごとに、教会に通うなどと言う(中世農耕社会では当然)、今時通じない経済行為を強要する。個人の節約をして献金を奨励する。その上、ノータックス、つまり甘い汁である。で実態は、強要である。

 こんな教会の姿を、垣間見る経験を最近してしまった。

 で感想としてはやっと、日本にもまともな教会制度が、ぼちぼち定着してきたようだ、と思った。仏教で言えば、檀家制度である。仏教はその教理を今明確に説明しない。神道も同じだ。稲作の共同社会を基盤にし、村社会に政治的構造を作り上げた神道は、語ることがない宗教である。それは、祭事としての政治に過ぎない。

 西洋型も、日本型も、はたまた中国型も、宗教一般で言えばニーチェによって、論理的には破壊され尽くされたが、人間の永遠の生命と言う、天国地獄論の両建ては、なかなか破壊できない。ばかりか。ますます、その方向を明確にして、それらの歴史的宗教を破壊していく。ようで、永遠の生命や地獄論は、先が、読めない論である。が、天国地獄論を語るブルンナーの「我らの信仰」は、明治学院の高校時代の教科書であった、とは驚きである。そんなことが、果たして、できるのか。

 そんなものを読み、ここまできた祖父ネットは、一体何を見出すのであろう。これが、個人主義的宗教の、ある意味では歴史的には異端的(非教会的)論法であるとは、我ながら驚きである。ブルンナーも在日中(戦後直後二回)、日本の無教会(内村鑑三)には、ほとほとびっくりしたらしく、帰路の途中で病気を得たが、帰国してなんとか持ち直し、自己の神学を完成させている。

 ともあれ、キリスト教の方が、日本宗教や東洋宗教より、今のところ世界的であるが。その世界性によって生み出された、近代社会の人権福祉自由平等が、今問われている時代でもある。はて、今後のこの世は、イエスである神の救いを、どのように扱っていくのであろう。教会という砦に、閉じこもるクリスチャンに明日はない、と言っておこう。自分だけが、良ければ良いという考え方は、全く世界に通用しない。

 ここからが、現代日本キリスト教の勝負どこである。世界は注目している。と、思う。  

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 写真は、実写。上野西洋美術館の庭で。ただ、後ろの壁が、今の展示位置と違うので気になる。あるいは撮影当時は、建物のそばにあったのかもしれない。壁面は、西洋美術館である、と思う。なにせ時間が、実写した時から見ればかなり経過している。まさか、こういう文章に添えるものと、は、全然、当時思っていないで撮影している。  

 

 

 

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