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2018.11.24

永遠の生命と金閣寺

 

 小説「金閣寺」には、優秀な解説がある。

 佐伯彰一さんという人が、書いたもので。知らない人であるが、納得できるところとできないところがある。

 人生も77歳にもなると、当然ある、な。氏の解説によって、あらかた三島由紀夫という作家が、いかに早熟であったか、いかに深く日本文化と関わっていたかに、納得した。が、評論の後半部にある、三島論には少し異論がある。

 三島の一般的な評論とすれば、確かに。そのように、語られる人であった。要は、日本史との断絶問題である。敗戦によって、日本は日本伝統を断絶され、新たな日本になった式の、評論は。三島評論に限らず、あの頃のかなり一般的なものである。この線に沿って戦後史は考えられていた、ということは事実であろう。

 16歳下の私も、そのような評論に惑わされた一人、であるが心の何処かに。全然納得、できなかったのは、明治学院教育であったからであろう。純粋な日本の教育では、無かっと思う。それを、クローニンの「天国の鍵」から、知るが。厳しい差異は免れない。

 三島の金閣は、日本の問題である、が。評論をさらに読むと、三島は、ギリシャ旅行が終わった後に金閣寺を書いたらしい。このギリシャに触れた旅こそ、問題であって。天才早熟の三島が、「それで」何かを得た、何かを体得した、納得した、考えた、疑惑を持った、のではないか。

 秀才は、一を知って十を知る人であるが。三島の天才は、ギリシャをてんで問題にしなかったのではなく、深く敗戦日本を考えるときに、十分参考にしたのである。と、考えるのが、妥当している。と、思う。彼は外見上、一切、キリスト教に触れてこないように見える。深くわからない。が、磔刑のキリストを表現したと、私の記憶にはある。この、一見無関心な彼の態度にこそ、彼の問題があることを、感じる。彼は、昭和とともに生まれ、敗戦時は20歳。まさに、ものを考える秀才として、その世代を代表せざるを得なかったといえるだろう。

 彼が、自殺するとき。私は、偶然皇居前をタクシーに乗って通過していた。ある会社との商談があって、内幸町に向かっていたのである。で、瞬間的に、予想した。彼は、自殺するであろうと、思った。この予感を、立証する手段は、ない。が、そう思った理由は、いまだに見つけていない。また、立証してもなんの意味もない。が、仕事も終わり(事件で話にならない)、私は自殺の現場を正確に認識できないまま、当時四谷にあった自衛隊を、それと見極めて行ってみた。が、場所は市ヶ谷であったとは、後で知ったことである。

 明治学院と三島との縁というと、おかしなものであるが、その事件には二人の関係者がいたと、後で知った。

 一人は、高校時代の同窓生(すでに他界)である、朝日新聞に勤めていた写真家で。もう一人は、盾の会に入り三島の介錯をしたした人である。カメラマンは落とされた首を撮影し、もう一人はその首を落とした人である。

 が、なんとも私には、これ以上、今の所書けない。

 

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