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2018.11.01

永遠の生命と忘れられたロマン主義、そして加守田次郎個展

 

 表題の、二つの書く目標は、複雑に絡みあう。

 ので、うまくいくかどうか。

 要するに道行きである。

 ブルンナー の「弁証法神学序論」(1921年作、グーグル十三円本)を読みながら、表題の人物の個展を新宿京王百貨店に観に行った。ブルンナー本は、40pあたり。表題は「ロマン主義による19世紀の宗教と神学の確実性」の部分。

 二冊目のこの本は、大切な本なので、綺麗にしたまま、ある精鋭の画家に贈りたい。ので、線は引かないし書き込みもしない、つもりで読んでいる。ここ何十年の本読み習慣で、全く稀有なこと。だが、しかし、実行してみて、呆れたのは、実によく内容がわかる。のだ、線引きは本の内容に対し、意外に障害であることもわかった。が、ここ、という場所を再度探すのが、困難なことである、こともわかっていることである。

 が、読み方の問題はともかく。自分の思想であるいは、キリスト教信仰で欠落しているものが、明確に理解できる。それは、ロマン主義、である。ああロマン主義。私に最もかけている、感情というか理論というか観念というか、どう言っていいかわからないが、ともかく、それが、私にはない。

 で、Wikipediaでロマン主義を調べた。ゲーと、思ったのは、いまのWikipediaのそれに、なぜか堂々と島崎藤村の写真、が一人、載っていたからびっくりしたのである。あの美男子の藤村の写真は有名で、軽井沢の広告にも盛んに使われる広告顔、である。もちろん私の母校、明治学院の代表的人物で、思想史上も厄介な人である。この人に手こずってしまい、私の今日があるが、何せ縁が深い。小諸の近くの中込で、大阪で生まれたのにそこで10年も過ごしたのが、間違っているのである。

 要するに、私など藤村との必然性は、全くないのにも関わらず、中込は小諸の目と鼻の先である。小諸と中込、と島崎藤村。藤村と小諸は切っても切り離せない近代思想の、ないし近代小説の発祥地なのである。その私が、成長したところで、要するに故郷である。が、日本ロマン主義、と、もろにぶつかるから、私の頭から欠落したのである。

 彼の、若菜集は私の若い感覚を打ちのめした。それは、若さもあるが、信州の匂いを十分に吸ってしまった、青年の私の悲劇なのだ。時は、第二次世界大戦の真っ最中。父は中込で、零戦の地下製造工場を設計監理していた、宮内省(今は宮内庁)匠寮の出身の人なのだ。

 父は、藤村が好きだったようだ。ようは、大正ロマンで、成長した人なのである。それが、大阪音楽学校(今の大阪音楽大学の前身)ヴァイオリン科本科の出身の人(母)、との組み合わせは、今思うとなんとも鬱陶しい限り、である。その上、生まれた大阪・天王寺は、長野上田の真田幸村が討ち死にした場所で、この幸村も分かりにくい信州人なのである。

 などと、書くと、失ったロマン主義は大正のものであり、自分は本当の明治学院神学にのめり込んだから、それが高校のブルンナーという人の教科書であった、という理由など、簡単にわかるわけもないのである。ロマン主義は、私の中から、見事に欠落し、私の神学や、絵画の修行に欠落が生じた、と今頃わかる。

 で、加守田次郎個展、である。

 彼は、まるでロマン主義である。今の京王「百貨店」、という名称表示に見事に体現されている古いデパートで個展をする画家、であるということがわかる。彼の素朴主義は、尋常ではない。

 それは絵の値段に表現されている。私は小さいSM(サムホール)ものが良かったと思う。しかし、十万円以上もするから、誰が買うのであろう。と、いささか、疑問に思った。1967年生まれ、私が25歳ぐらいで結婚していたら、生まれていたかもしれない子供の年齢である。

 その人は、我々バブルTOその崩壊を構成した年齢のものの、二次被害者層であると、思う。一時被害者ないし、加害者である自分と、二次被害者、一時加害者の子供である感性の極みを、たっぷりと味わいながら成長した人たち。の、20歳ぐらいで崩壊した社会を、失われているロマン主義をかろうじて見出した人の、絵画を見る思い、となった。

 京王百貨店は、なんとレトロであろう。新宿南口をしょっちゅううろついていたバブル時代、現役の自分は色々知っているが。出来上がったばかりの新南口の、あのモダニズムのコーヒーショプを眺めながら、百貨店に到達し。なんとも、モダンとレトロの時間差を十分に味わい。ながら、加守田次郎の個展を観た、わけだ。長野の善光寺の前にある、見事な長野を代表する産物の売り場、から甘酒を一本買って(四百円)画家に渡して、帰ってきた。

 実は、少し知り合いで、気楽に話せる基盤がある。

 どうせが画家同志、描く苦しみは、一緒なのである。

 素朴ロマン主義の代表的な画家、加守田次郎の個展の値段は見事である、と思う。藤村は小諸で若菜集を発刊する。そこから彼の悲劇と栄光は、出発する。その時、藤村は明治学院卒業生として、英語はベラの小諸塾の秀才教師。として、その後その場所で、小説を書いた。

 悲劇、つまり本当の日本ロマン主義の発進である。父は、それが好きだったようだ。父が、信州に行ったのは偶然なのか、いまだに疑問であるが。藤村は、キリスト教を捨てる。 

 

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 写真は島崎藤村。なぜか、昨日のロマン主義検索が見つからず、仕方なしに藤村のWikipediaからコピーした。  

 

 

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