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2018.11.04

永遠の生命と「弁証法神学序説」ブルンナー著、を読み解く努力は始まったばかり

 

  そして、人類の永遠の生命を、望みある道として、明確にできるのだろうか。

 このような意識で、書いているうちにいきなり前回横道に逸れて、しまった。

 私の明治学院高校時代の教師、伊藤虎丸も。「墓の向こう側までつずく希望」の中の一章で、「奇跡」の体験を書いた。病床生活は三年目に入っていた。私の魂の中で徐々に起こっていたことを私はうまく説明することができない。とも書いている。

 結核から(戦後当時の結核は死病)奇跡的に蘇った若い伊藤は、中国で大学(日本製の技術大学)は、卒業していたらしい。だが帰国後、日本の新制大学を目指した。それが教育大、東大院というルートだったようだ。勉強した技術は別にして、得意だった現地語中国語を生かす作戦に出たのであろう。そして、無事卒業。ミッションスクールの明治学院で、漢文の教師になり、生徒たる私が、はじめの生徒である。彼は、その後本物の学者として、魯迅研究の第一人者となる。

 し、まず我らの明治学院高校の教師になった。一方、祖父ネットは生徒であったから、その聖書の時間の教科書が、ブルンナーだった、ということである。教科書の題名は、「我らの信仰」で、戦前の1935年(昭和10年)に、ブルンナーが書いたもので、ある。などということは、全く知らなかったことである。

 要するに、伊藤が担任教師で、概ね同時期にブルンナーの教科書が教えられ、たが。伊藤の闘病生活やその奇跡に、彼が触れたわけではない。ので、黒板の前の若い伊藤しか、知らない。彼は、結核の肺の摘出手術で、右腕が上まで上がらず、左手で支えながら黒板の字を書いていた。それを当人も言い訳的に、なんとなく説明してはいた、が、深く私の耳には入らなかった。

 何もかも、全くの闇で。我々の精神生活は徐々に、高度化していた。で、この年77歳になって、明治学院高校の当時と同じ、ブルンナーの弁証法神学序説、を勉強している、ということである。1935の「我らの信仰」を書いたブルンナーは、1889年生まれであるから、ブルンナーは当時46歳、見事な中堅神学者だったわけである。が、誰やらなにやら、皆目分からないで読んでいたのである。その最後の章が、35永遠の生命、である。そのはじめの言葉、私たちが自分から知っていることは、すべてのものは死なければならないというということであります。となっている。

 ここで、改めて、ブルンナーをWikipediaで確認し、私が読んで、ムッとする箇所を多数訂正し転載しておきたい。

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 エミール・ブルンナー(EMIL BURUNNER、1889年~ 1966年)は、スイス出身のプロテスタント神学者、カール・バルトと共に弁証法神学と名ずけられた神学の推進者。唯物論や無神論の近代的発展、世界の度重なる大戦によって生じた人類のウルトラ悲惨、を受けて神学せざるを得なかった、新正統主義の神学者。

スイスチューリッヒ生まれ、チューリッヒ、ベルリン、ニューヨーク各大学で学ぶ。その後8年間、スイスで牧師を務め、1924年チューリヒ大学神学部教授。1942年から1944年同大学総長。1953年国際基督教大学教授。二度来日し無教会主義(日本型キリスト教)の研究をし、1955年帰国。帰国途中船中で発病し倒れたが、帰国後も神学を書き続けた。

 「我らの信仰」(明治学院高校教科書)「聖書の真理の性格」「神学論集」「倫理・社会論集」「フラウミュンスター説教集」「教会・信仰・完成についての教説」・「創造と救贖についての教説」「神についての教説」など多数。

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 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 下の写真はスイスを代表する見慣れた名峰マッターホルン。祖父ネットが実写したものです。呆れるほど、綺麗です。富士が我々日本人の象徴であるとすれば、この山はいつもスイス人の、宗教的精神性であるキリスト教を高めてきたのではないでしょうか。ブルンナー やバルトも、若い時は登山が好きな好青年だったのでしょう。ね。クリックして、大画面にすると、いいですよ。 

 

Photo

 

 下はブルンナーの肖像。若い時は、美男子だったであろう。たくさんの恋人もいたであろう。スイスの性は、今も尚お盛んであるが、人類皆同じ。その中で、永遠の生命を探求するブルンナーは、神学者としてもなかなか、男前である。なにを思うか、ブルンナー、である。しかし、彼は二人の若き息子を失っている。ブルンナーの研究対象だった内村鑑三も、愛してやまない娘ルツ子(17歳で)を失う。皆、性の奇跡のなせる技、であるが、決して簡単には結論は、出ない。

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