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2018.11.26

永遠の生命と「夜明け前」の英語版

 

 なんと、三島由紀夫の金閣寺の英語版を購入し、

 高い三島文学に対する、一段の理解が深まったと思った、瞬間。

 今度は、ふと。

 では、島崎藤村も英訳されているのではないか、と思ったのである。で、まず従来の古書ネットで、調べたがない。で、アマゾン、で調べたら、ある。米国の古書にある、あった、時はびっくりした。で、次に、国会図書館で調べてみると、なんとしっかりとあった。そこで、あり場所は確定したので、今度はジュンク堂の洋書コーナーに電話し、確認したところ、あった。現売していたのである。

 もちろん、購入を申し込んだが、現物は約一ヶ月かかります。というから、当然である。この本(島崎藤村著英訳「BEFORE THE DAWN 」原書「夜明け前」)は、英訳が、あったのである。びっくりした。

 この本、明治学院図書館にも、英語で翻訳された時から存在したに違いないのであるが、知らなかった。とは、私もかなりのバカである。と、言えるだろう。三島の金閣寺を、まず原文で数行読んで、英訳を読むと、スラスラとよくわかるのには、びっくりした。なぜなら、簡単な話、内容がよくわかった後で、それを英語で読むからである。わかったような気が当然、する。

 頭の中には、三島文学ががっちり構築されているのは、いうまでもない。が、それで英語を読むと、細々(こまごま)とした、英単語の不明など全く問題にならない。もともと、すでに概念化された言語が、頭の中で勝手に踊り出すという経験は、見事初めてである。なぜ、今まで気がつかなかったのであろう。

 この逆。すなはち外国語から翻訳されたものを、もっぱら読んでいた私(神学書が多い、聖書も同じ。ただし、原書の言語はギリシャ語、またはヘブル語またはラテン語)は、たまたま英語などでも挑戦してみて、挫折していたのであるが。それを、ヘボン式併用日本式ローマ字法で毎日横文字に慣れてくると(約10年)、特に英語は、原文を読みたくなって、読んでいたのである。ただ、それは読む、というより、言語での表現法に興味があって、その箇所を確認したに過ぎない程度の、読みであるが。結構、面白かった。原語の量で言えば僅かなものであるが、そのうちアルファベットは、なんら問題もなく、スラスラと読めたので、今のところ、英語以外の言語には挑戦してはいないものの、特に難しいとは思えない、ようになった。

 こういう時に、なってやっと。我が国の明治維新を書いて秀抜な、我が先輩の小説が、気になったというわけである。原書は二、三度、すでに読んでいて、かなりその小説の周辺も調べてはいるが、藤村の故郷、肝心の馬篭には行ったことがない。彼が、もっぱら物書きとしての活躍期の原初であった信州小諸付近で、私は幼児期の10年ほどを送ったから、そこが、私の藤村の原点なのである。

 で、学校は同じ明治学院であるから、彼の文豪ぶりには圧倒されるのであるが、特に。姪との夜の生活は、誰が読んでも許せる話ではないから、そこの日本人の明治エロスと、西洋的明治個人主義と、日本型耽美主義との絡み合いは、深く私の明治学院的キリスト教的疑惑の原点でもあった。

 だが、藤村の原書を、英語に訳した人がいるということがわかった時点で、あまりの高い尊いその苦しい業を、乗り越えられた米国人翻訳者の、現売するアメリカ出版業界の高さにも、敬意を払って、購入申し込みをしたのである。

 この話は、まだ、続けたいが、今日は、この程度にしたい。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

「帰る場所」の鑑賞者が1000人を超えたのは、快挙である。様々なネット上の特徴はあるものの、ともあれ現代的な個展の在りようは、成功したのである。絵画は、どこへ行くのか、という原点は、これで解決したわけではない。ただ、絵画という創造的勇気が、絶えることがないのが人間の高さだと信じるられる。

 絵画的挑戦は、終わることなく続いていくだろう。

 下は、英語版島崎藤村著「夜明け前」

 

 

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