« 永遠の生命と小説「夜明け前」は、語り出す、と横浜 | トップページ | 永遠の生命と小説「夜明け前」の封建制とキリスト教 »

2018.11.30

永遠の生命と小説「夜明け前」は、語り出す、と横浜とキリスト教

 

 天明6年(西暦では1786年)の頃(41ページ)、

 2代目惣右衛門が53歳を迎えた頃である。その頃の彼は(初代は在の貧しい農民から身を起こす)大きな造り酒屋の店に座って、自分の子に酒の一番火入(祖父ネット注、酒造のための)などをさせながら、初代在世の頃からの八十年に亙る過去を思い出すような人であった。

 と、小説は書かれていく。これらのエピソードの後に、黒船は86艘であったとか、なんとか聞こえてくる慌ただしい中山道のほぼ真ん中あたりの宿場町の、自分たちが役職である街道の、面倒を見ていく。という、当時の西と東の、わさわさとした人心を動揺させる、世間の騒がしさが書かれていく。

 を、横浜伊勢崎町の有隣堂で買った「夜明け前」3冊に、すでに池袋ジュンク堂で買った第1冊目を、読んでいる。と、なぜか、壮年期に読み切ったと思っていた夜明け前の、どの部分を読んでも面白いのには、実際参った。というのは、こうも読むものが、多いと、キリがなくなるのであるが。それを、永遠の生命に結びつけて考える私にとって、は。どれも、これも重要な本なのである。

 先回も書いた横浜能楽堂で、お能を拝見することを、ここでは推薦したい。この能舞台には、多少の縁があるからである。文明開化の時代以前にヘボンによって創業された明治学院は、戦後。私たちが確か中学生の頃でも、そのお能を見学させてくれた。キリスト教の学校の、高い志であるが。なぜかはもちろんわからない。多分、あまりにも西洋化された教育の内容に、いささか不安を覚え。戦前の日本の良さを、生徒に教えたかったのかもしれない。

 実は、その能舞台は駒込の徳川家のものであった。私の小学校の時、その能舞台はまだそこに健在で、あったが。その後解体されて、さまよった挙句、横浜の現在に復活したものである、ということをよく知っていたのである。その海側に伊能忠敬像が屹立しているのであるから、先日の横浜ゆき(神奈川県女流画家展の鑑賞時)、懐かしくわざわざ回り込んだのである。

 駒込の徳川家は今も健在で、実は一切合切新政府に政権を明け渡した、徳川慶喜の初めの頃の住まいが巣鴨(当初は静岡に蟄居)、であり、その後茗荷谷で他界するのであるが、駒込と巣鴨は接近して一体であり、六義園は有名な庭園であることは、徳川時代と深く結びついているからである。私は、そのすぐそばで成長したので、また、殊の外懐かしいのであるが。

 その自分が、なんとすでに77歳である、ということは、小説中の当時の惣右衛門が53歳とすれば、何ともはや。とんでもない自分の歳である、と我ながら驚いているのである。

 横浜の旅は、何かとキリスト教と結びつくのであるが、これは如何にもこうにも、私のキリスト教と結索されている、なんとも切ない事実なのであるが、桜木町の駅前で一人聖書を売る、若い美しい人を見ながら、無情にランドマークタワーに去る自分の夢を今朝見たのも、なんらかの縁であろうこと、か。と、思うのである。

 永遠の生命論は、このようにして明確にキリスト教と結びついていく。

 

 下の写真は横浜能楽堂の一帯にある、掃部山(井伊家)公園の庭園の灯篭

Dsc_0051

|

« 永遠の生命と小説「夜明け前」は、語り出す、と横浜 | トップページ | 永遠の生命と小説「夜明け前」の封建制とキリスト教 »