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2018.11.29

永遠の生命と小説「夜明け前」は、語り出す、と横浜

 

 昨日の、慌ただしさと言ったら、すごいことになった。

 書くのも大変なほど、慌ただしかった。

 場所は横浜。桜木町の能楽堂を目指したのは、伊能忠敬像を拝するためである。藤村を読み始めると、こうだ。こういう意識が働き始める。明治学院を卒業した藤村は、まず横浜の商店で働いたと記憶しているし。ともかくみなとみらい駅について、崎陽軒の最近できたと思われる300円の、昔ながらシュウマイを買って近くのベンチで食べた。

 その後、三菱重工業の造船ドック記念遺跡を覗きながら、長谷川伸の碑を配し、掃部山公園を目指した。能楽堂の海側に伊能忠敬の像は、ある。一帯は見事な日本庭園で、像を撮影して庭園に回り込み、日の出町を目指した。が、うっかり肝心の要件を忘れるほど、熱中してしまい。第58回神奈川県女流美術展を見ないまま、日の出町にでるなどという、愚かに陥るところであった。が、かろうじて気を取り直すことができた。

 女流展で、私の明治学院の学生の頃からの友人が、トータスマイアートクラブ賞をもらえたので、鑑賞に行ったのである。で、ともあれそれだけを観て、日の出町に出、そこから有島武郎が成長した家を見ようと思ったが、道が複雑で諦め。伊勢佐木町に出、昔会社で設計した建物を、2棟確認し、コーヒーを飲んで休憩し、桜木町に戻りランドタワーの下の、みなとみらい駅から、池袋にで、世界堂でシャープペンの修理をお願いし。帰宅した。

 その間、伊勢佐木町の過日の、上品さを完全に失いかけている伊勢崎町で、今でも健気に健闘している書店、有隣堂で「夜明け前」の、下3巻を買って、最後の4巻目にある秀逸な解説を読みながら。夢中になっているうちに池袋に着いた。という、慌ただしい、が充実した、一日になった。

 と、書いて、今日は本格的な冬の生活時間としての、この書きの終わりとしたい。が、最後に、藤村の、1巻目の29ページには、次のような記述がある、のはいかにも幕末のリアリティーを感じて感動する、ので書いておきたい。

 「若者への関心にかけては、金兵衛とても吉左衛門に劣らない。アメリカのペリイ来訪以来の慌ただしさはおろか、それ以前からの周囲の空気の中にあるものは、若者の目や耳から隠したいことばかりであった。

 殺人、強盗、駆落、男女の情死、諸役人の腐敗沙汰なぞは、この街道(祖父ネット注、中山道)ではめずらしいことではなくなった。」

 と、ある。

 

 

 下の写真は、JR東海長野県木曽福島駅に保存されているD51蒸気機関車。木曽福島は小説「夜明け前」で、封建時代を代表する役所があったところ。その役所が、御法度の賭場場を開設する、という一節はなかなか面白い。財政上の問題とはいえ、腐敗役人、という書き方を藤村はしている。私が信州中込で幼児期だった頃、小海線を走っていたものと同型である。

 

 

 

 

D51jpg

 

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