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2018.11.22

永遠の生命と北信の旅から

 

 結局、北信州というところは、武将「福島正則」終焉の地、であった。

 ことを知るのであるが。

 今まで知らなかったことである。豊臣政権が徳川政権の前で消されるドラマ、なのである。なかなか政治というものの、人間的デリカシーは、簡単でないことがわかる。

 私は、どちらかというと東寄りの信州佐久の中込で成長したから、どうも明るい方の信州にいたのであるな、と思わざるを得ない。山梨に近い方が武田信玄公、新潟に近い方が上杉謙信という武将の活躍拠点で、なかなか。デリケート、であるが、中込は山を下れば関東だから、それはそれなりに、デリケートな真田幸村の世界なのである。上田の真田家の歴史だけが、信州ではないが、東軍についた秀吉の甥の武将の最後の死は、謎とされている。

 それが、小布施の歴史にはある。ともあれ、湯田中の200年継続したという、呆れるばかりの岩風呂に入って。そこに居並ぶ馬鹿でかい質量を持った岩石を、積み重ねた。ゴツゴツした岩の間を抜けて、素っ裸のまま温泉に入ると。とんでもないことに。人間の感覚として、股間が縮み上がる思いがする。全然勝負にならないから、人間アダムの裸の実態は、マーここらあたりにあるのであろう。

 それが、ザマーみろ。永遠の命を言うから、そこらの大岩石も、及ぶものではない。生命とは、かくたるものである。と、も、知る。

 で、昨日旅行づいたところで、一気に横浜に行った。

 「戦後横浜に生きる」というテーマの写真展があり。当時の、GI と日本の元気な女性方との、性の出会いを観に行った。若い頃は、多少のそれらしき時も残り香、としてあり、私が信州にいた頃。ここ横浜は、マー若い人たちの性の共演があるということは、あの当時としては当然の成り行きであろう。近くのフェイリス女学校の院長が、私の洗礼牧師であるから、特別な感慨を持つこともあって、と言っても。私の青年期には、それら戦後の売春時代は汚点として、綺麗に消されれ、その残滓が多少残っている、という雰囲気であった。私が明治学院の高校の頃に、売春禁止法が、できて、しまった。いや、できた。

 新聞会館の上にある会場を、ザーと拝見したのは。そこに写っている子供達が私で、そこのおねいさんが当時頑張って、アメちゃんの(アメリカ人を当時はこう言った)恋人のふりをした。若い、美しい、日本女性を尊敬して、帰ってきた。とても写真集は気の毒で買えず、パンフレット一枚に込められた、悲しい売笑婦人の苦労のシワを、つくづく横目でみて、申し訳なさに。つい、新聞会館のお化け輪転機(新聞を刷る)に目がいった。その同じビルにある、レストランでスパゲティを食べ、トイレをお借りしたら、なんと。

 そこに、は絵葉書に映った、我が明治学院の創業者ヘボン師の家が写っている、写真が飾ってあって。

 嬉しくなって、帰ってきた。要するに、活字的おばけ輪転機の時代は終わったのである。と、思ったあの瞬間を。このような形で経験するとは、若い時には思わなかった。し、このレストランは、若い時のデートで。コーヒーを、飲んだレストランでもある。

 な、と思って帰宅した。活字表現の変化は、思想の表現法としても、もはや、変わらざるを、得ない。帰路西武デパにより、壊れた世界堂のシャープペンの代わりに、フランス製の高級シャープペンを買う旅とも、なった。なんと、世界堂のシャープペンは10年以上も年がら年中使い込み、芯を送り出す掴み部品が、壊れたと売り場のプロも、認めたのである。

 買った、シャープペンも10年以上使い込む、などと期待しても。人生時間は、それを許すことはないであろう。

 と、思うのである。

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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