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2018.12.31

永遠の生命を書きながら、次世代へ期待する

 

 いうまでもなく、平成30年は(2018年)今日が最後の日である。

 月曜日。何事も日曜日から始める西洋と違い、日本の週は月曜日から始める習慣である。働いて、働いて、休むといういう習慣は、ここいろいろと働きが複雑になって、一斉にというわけにはいかないようだ。個人の都合はバラバラに見えるが、日本人であるということは、同じであり、また人類と言って大げさに言えば、人は皆同じである。世界は、まさに一斉に正月を迎える。

 が、実際には簡単にはいかないのが、世界である。

 内村鑑三(概ね私の祖父より上あたりの年代)を読み、関根正雄(概ね両親と同じような年代)を読み、自分が七十七歳でこのブログを書くという仕組みは、感謝極まりない。何もできるわけではないが、どうもいろいろ書いて、読む人もいない。と言っても、書くからありがたいきかな、である。この分だと、来年も書くようであるし、このマックパソコンが壊れない限り、多分書くだろう。

 ろくなものをかけないが、キリスト教の真髄だけは個人的に、やや書ける、かもしれない。人類の救いをいうキリスト教の、壮大な考え方は、実に厄介である。それを幼い頃から教えられているが、その時は、まさに日本敗戦期、である。日本人が日本人を非難し、傷つきあって生きた時代だ。それを、親父の傍にいて眺めて育ったのが、我々の時代あたりの年代の生き様である。

 それが、七十七歳。つまり昭和16年の太平洋戦争開戦期から数えて、77年経過したというわけである。いずれ100年を迎えるが、私は生きてはいまい。で、何を伝えるのか、という面倒な問題にぶつかる。自分の生きた時代が特殊であると、思ってはいるが、何事も経験者でないとわからないというのは、人間の当然の限界であるが、よろしくないと思う。し、何も、経験だけが尊いのではない。

  すべからく、人はい生きるのであるから、いきるのであって、何も難しいわけではない。

 ということを言って、ではまた来年に。祖父ネットのような、こんなつまらないものを読む人もいるのであるが。深く感謝するのは、それでまた書く気が起こるからである。では、来年も良き年であるように、祈りながら。読者に感謝して。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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