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2018.12.13

永遠の生命論と、東京裁判

 

 東京裁判は、古いはなし。であるか。

 島崎藤村の明治維新(小説、夜明け前)は、古いのであろう。それより、現代人に今も通じながら忘れられる「東京裁判」は、深刻である。というより、その深刻度を経験した人は、もはや地上から消えたので、その深刻度も。自ずから消えたのであろう。

 だが、言うまでもないが。今も、この日本には米軍が駐留している。から。これは、その後遺症である。と、はっきり認識できることである。その、うっとおしいことは、言葉にならないが。これが、敗戦の結果であるということは、言を待たない。アジア現代史の中に、準植民地主義が今も残滓しているのが、歴史なのであろう。日本人が、いくら切歯扼腕しても、この事実から逃れることはできない。それが、日米安保条約という、政治的流れのゴミ溜めなのである。真の独立国、という純粋な考えはいかに理想としていても、今後ともあるものではない。日本は、永遠に米国の準従属国なのである。ヨーロッパにも、この残滓はあるはずである。が。詳しくは、知らない。

 では、アジアの日本が植民地化していたという(本にある、起訴状から)、その国々に、今も米軍は、駐留(保護国として)しているのであるか。詳しいことはわからないが、それにしても、第二次世界大戦は今も、大きく世界に影響を与えている。と、言って間違いはないであろう。

 で、七十七歳の自分が。昨日から読み始めた「東京裁判・全訳パール判決書」(ラダビノートパール著、都築陽太郎訳・幻冬社・2017・2刷)を読み始めた。多分、この裁判。近代の裁判としては最高の圧巻であろう。これが、やっと、七十七歳にして、読めるようになった。以前も、いうまでもなく、たくさん出版されていたもので、その読みに挑戦をしていたが、途中で何度も引き上げていた。第一に、その解説と一緒になった、本などが多く。解説本の中に、出版意図などが載っているような体裁のものが、多かったのではないか。

 余計なお節介というものであろうが、以前にはそうやって、この種の本を売ったのである。大いに売れたと思う。そのような性質の本は、訳者などの解説者の考えが出てしまい、読んでいて、実に鬱陶しかった、経験がある。純粋に、ただ、立派な翻訳と立派な英文原本を並列して読んでいると、ここに初めて昭和16年生まれも(太平洋戦争勃発時)、安心して読めるものである、と思う。ので、コーヒーを飲みながら、読んだ次第。

 ともあれ、読んだ箇所はいろいろあるが、ともあれ起訴状(662ページ)を読んだ。で、グーーと息がつまる思いだった。なぜかは、読まれると良いであろう。たかが1800円で、読める日本の最大の不幸は、すでに終わりに近い人生である私の脳髄を、打たないわけには、いかなかった。ともあれ、コーヒーを飲み残しなく飲んで、いつものケーキ店アンデンドゥを出て、家に帰った。

 少し雨が、しょぼしょぼ降っていたが。こう言ったことも、歴史時間の中で、戦争経験的肉体所有者(微小なる)としては地上から消えていく時間であるが、日本の歴史または世界の歴史には、人類が生存する限り、まだまだ読み継がれると、確信する。が、ともあれ、日本人には、きつい歴史的経験であることには、間違いのないことである。戦後に、この世界最大の裁判記録が残ったということは、ともあれ日本史の高さの証である、と言っておこう。ギルティーノットギルティーなどという、ことは別にして。

 立派な歴史的記録だと、老体日本人としては思うのである。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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