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2018.12.23

永遠の生命を書きながら、キリスト教神秘主義をご紹介したい

 

 先日は、幼児絵画教室の日だった。

 生徒は一名、小学二年生女の子である。

 あと数回で卒業であるが、今日はピエールボナールの模写をしてもらった。可愛いい猫と犬さんのいる二枚の、どちらがいいか聞いて、彼女は猫さんを採用した。先日の、オルセー美術館特別企画2018・9・26~12・17会期の広告ポスターと、馬鹿でかいボナール画集の中の一枚と、その両方ともかわいいお嬢さんが、一緒にいる絵である。ボナールらしい、優しみがあり、歳をとってみるととても、引きつけられるのは、もはや紛れもない祖父の年齢だからであろう。

 絵の指導は、今回、口は出すが手は出さない。という、方針を貫いて、見事に出来上がった。嬉しい。早速、ガラケーで撮影したその絵を尊重し、DPEに行き現像、世界堂で額装していただいた。それを、来年の卒業記念として、その生徒に差し上げたい。など、ここの書きもここ少し書いていない。ので、今日はふと、神秘主義を書く気になった。

 キリスト教には、当然、神秘主義もある。あまり普通の日本人がなじまないジャンルであるが、宗教にはつきものである。精神界という人間の世界に不思議が伴うのは、当然である。様々な弊害もあり、社会的に有害になることもしばしばである。しかし、真面目な神秘主義は絵画の世界と同じで、精神界の一種の高みを表現する。

 では、「キリスト教神秘主義著作集、1」(教文館、2002再発行)から、その本の一部を書いてみよう。

 この本の副題は、「ギリシャ教父の神秘主義」である。ディオニシオス・アレオバギテースという人のものらしい。訳す人は、東大出の秀才谷隆一郎さん。谷さんは1945年生まれ、私より少し年下である。ただし、この人東大では工学部、それが、人文科学系の大学院を修了して、これであるから、すごい人である。私などは、明治学院大学文学部を出ながら、これであるから、恥ずかしい話である。が、ともあれ、実に面白いし確実ないい訳である。では、

 「万物の原因でありしかも万物を超えたものと、いかに合体し、これを讃えるべきであるか」から始まる。

 「我々も光を越えたかの闇に近づくことができるように祈ろう。それは観照と知識を越えたものを、観もせず知りもせぬ形で観て知ることである。いかなる形でも観もせず知りもせぬ形で観て知ることである。いかなる形でも観もせず知りもしないこと、これこそ実は真に観ること、真に知ることに他ならない。」

 今日はこれまで次回に、続けたい。

 なぜなら、私の教室で実現した、幼きものの絵は、まさにそのように語っているからである。一枚の絵を観るのであるが、その真髄を幼子は実現したのであるが、それが純粋というものであろう。大切にしたいものである。なお、ディオニシオス・アレオバギテースとは、六世紀の人である、と本の解説にある。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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