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2018.12.04

永遠の生命と英語とラテン語、について

 

 と、こんなことを書いていると。

 昨日(12月4日)毎日新聞に、「共通語の世界史」と言う本の広告が出た。

 言うまでもないが。日本では流行らないクリスチャンであると、実はこの点はかなり以前から心得ている。が、この際はっきりとしたいと思い、この本を買いに池袋ジュンク堂まで行った。買ってから本を瞥見し、なるほど。と思ったのは、自分が知っていることの再認識である。

 特に西ヨーロッパでは常識のラテン語であるが、にこう書かれている。

 「ラテン語・西ヨーロッパの支柱。

 ローマ帝国が征服したさまざまな入植地にラテン語が広まっていくさまは、諸言語の歴史の中で他にほとんど類をみないものである。何世紀ものうちに、ときには1世紀もたたないうちに、キリスト教歴の紀元前から紀元後へと移りかわろろうとする大きな歴史の曲がり角にあって、暴風に見舞われたように被征服民はラテン語化された。

 ラテン語は公共生活での土地の言葉と置きかわっただけでなく、まもなく家庭の中でさえ使われるようになった。」

 この認識が、我々日本人には、ほとんどない。

 これは、当然のことで、学校で世界史などを習うとき、この基本構造は語られることがない、と思う。そのラテン語に、実はキリスト教が張り付いて、すなはち聖書が張り付いている、と言うことが認識させらることは、日本の公教育では全くないのは、当然である。

 これで、いわば世界史の肝心の部分が理解不能に陥るのであるが。これが、日本の世界史理解の現実である。おかしなことに、紀元後はA.Dと表示され、紀元前はB.Cと表示されているのに、その言語的意味は全く意識されていない。単に、記号化だと思われている。

 すなはち、A.Dとは anno domini と言うラテン語で、救い主キリスト生誕以後という意味であり。B.C は ビフォークライスト、すなはちキリスト以前、という意味なのである。要するに、西暦とは、ラテン語でも表示され、英語でも表示されている、のであるから。これは、我々の常識としている表示された世界史というものが、もはやこれに支配されている。ということを、私はかなり前から。クリスチャンの私は、知っていたのである。

 が、普通の日本人は、これに意味を与えてはいないのは当然で。明治新政府が、この表示を、どのあたりで採用したかといえば、それは和暦を洋暦にしたその瞬間であろう。悲しいかな、訳のわからないクリスマスの商戦と同じで、この意味を宗教的に理解する教育は、日本の教育にはない。のは、当然である。

 この、世界の現実の。世界規模の言語的現実が、今まさに。インターネットという、鬱陶しい技術によって支配されつつあるということは。さらに、もう一冊の本に、見事に表現されている。それは「日本インターネット書記」という本であり、この2冊の本をジュンク堂で買って、揃えたとき。

 何ともいえない、情けない気持ちがしたのである。

 もはや、自分の出る幕などないのであるが、日本人はその世界のインターネットが、ソフトウェアー英語(ラテン語)で支配されている割には。この認識にいたっていない、という(プロのプログラマーは別)。島国日本の純粋美の精華を、悲しむやら嘆くやら、嬉しいやら。

 島崎藤村は、明治維新を書いて死んでいったのであるが、私もそう遠くない時点で、天国にさる自分の、日本人ぶりを心から感謝している。と、皮肉の三つも言いたくなった昨日の本買い、であった。と、悲しく書いて。

 朝の書き、になった冬の意外な暖冬の、朝。かな。で、図らずも2冊の本を、友人にも渡せて後事を託せたのが。せめてもの慰めとなったので。では、いざさらば、で。あるが。

 

 

 

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