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2018.12.07

「永遠の生命」と31年ぶり訳の聖書

 

 明治学院の高校時代の友人と、久しぶりに話をした。が、

 つい、島崎藤村の英語とキリスト教の関係性を話してしまい、友人には迷惑をかけた。

 彼は、大学は理工学部の技術に進み、実は全く文学はトンチンカンなのである。が、あまりにも、私には大きな発見なので、つい会って話をしたくなった。が、全くの徒労であった。 

 

  確かに彼には難しすぎたし、ともあれ文系的なセンスでも、このテーマは高すぎて、とても理系では理解ができない。友人の、飽き飽きするような顔つきを見て、また失敗した、と思って帰ってきた。あまりにも、申し訳ないので、帰りに池袋の三省堂によって、たのんでおいた「日本インターネット書紀」を買って、帰宅した。

 帰宅して、確認すると、書いた人は1946年生まれの鈴木幸一さんで、早稲田の文学部を卒業した人であった。

 さもあらん、この本。日本のインターネットを書いて深刻であるが、この本の話もしたが、当の友人にはこれも不明の本であったようだ。誠にがっかりしたことであるが、今度からはこの友人に、文系の話はするのは止そうと決心したが、友人はそれでも教会の人なのである。インターネットも、今や、内容は文系の話、なのであり。もはや時代が進み単なる、技術の話、ではない。のであるが。

 友人は、それで私をさらなる失望に追いやるのであるが、それを調整している時間など、もはや自分の人生にはないのである。ところが、これが、キリスト教の奇跡的なところであるが。奇跡が起こった。三省堂で、本の金を払っていると、壁に広告が貼り付けてある。それが、何と「31年ぶり誕生、最新の訳」聖書の宣伝だった。

 予約販売となっているから、やれ嬉しやと予約しようとしたら、すでに販売中で棚にあるという。見にいったら、あるではないか。早速買って読み始めた。これも、書くとキリのない話になるが、なるほどなかなか読みやすい、のは明らかである。少し、疑問もあって、あとで聖書協会に電話を入れて聞きたいこともあるが、ともあれ、読みやすい。いい聖書である。その一部、特に変わっているところではないが、書くと。

 「愚かな金持ち」、のたとえ。平和でなく分裂を。思い煩うな。人々はしるしを欲しがる。イエス、死と復活を予告する。人はパンだけで生きるものではない。貧しい人に福音を告げしらせるために。幸いと災い。おびただしい病人を癒す。敵を愛しなさい。人を裁くな。家と土台(祖父ネット注、イエスの職業は大工)。など、

 を、改めて読んで。このイエスの言葉と全く違っている教会人の友人に、別れを告げて帰ってきた自分が、何となく慰められて、その教会人である友人を非難した自分を、反省した。1日であった。人間とは、全く。日本人は教会に肩入れしすぎイエスを研究しない、と戦後すぐ喝破したのは、神学者ブルンナー(「基督教のつまづき」1955年、昭和30年)であるが。それは彼が、失望して日本と決別する時に書いた本に、書いてあると、友人にもその本も見せた。

 が、彼は、何ら反応を語らなかった。ともあれ、日本の教会は、世界史的にはビッケの、悲劇の教会なのである。と、思った。友人の通う教会は、今も前牧師と係争中である。

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

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