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2018.12.15

永遠の生命と東京裁判と画家甲斐仁代を、書く

 

 東京裁判(極東裁判)という、難しい裁判を書き始めた。

 そんな時、それよりもはるかに高い美しい深い一人の、ある画家の絵と接触することになった。

 その上、その作品を買うことになって、つくずく「画家」の生き様の難しさを感じた。

 名前は、甲斐仁代という人、誰も知るまい。ただ。ここで、書けば。少しはネット(もはや世間の代名詞でもあるが)で検索可能になるので、その世間に出てくる可能性が十分にある絵である。が、今の所、この人を書く人はいない。明治35年、の、生まれの人。昭和39年1964年、に亡くなられた。アル中、であったというから、ますます。興味が出る。昔の絵描きらしい人である。

 明治35年は1902年。だから西暦で20世紀の出だし。いかにも20世紀黎明期の、画家である。私から見れば、私が高みに見ていた画家、である。亡くなられた1964年は、私が明治学院大学を出るだろうという年。安保闘争に疲れ、思想の勉強に明け暮れし、もう一つ絵でも勉強しようかと思い、とりあえず映画会社(日活)でホテルマンをして、その後駒込美術学園の夜学に、潜り込んだ。その時、高みにいた先輩の見習うべき画家の一人である。なくなったのは六十二歳。女流画家である。

 で、私がここで書くことになった、その上に作品も入手した。という、訳である。もちろん単なる偶然である。私の家の近くに素晴らしい画廊がある。これも、偶然発見したのであるが、まれに見るもので、ひっそりと深い森の中にある。近くに石神井川が流れているから、まるでヨーロッパ。と言って良いだろう。今紅葉の時期、なんとも美しい。

 この頃、そこを散歩している。散歩は多くの様々の道を選択できる地域、昔の小川は暗渠になっているところが、多い。その小川が石神井川に流れ込むから、その細道の両サイドは、今時の立派なデザインを持つ家々に生まれ変わる様は、戦後70年、まるで夢のようである。その一角にある画廊は、長い歴史を持つが、ここでは言わない。

 甲斐さんが昭和44年、銀座の文藝春秋画廊で、個展を開いた時(正確には遺作展)。出したパンフレットには、自画像もあり、コメントには有名な吉屋信子も書いている。まず吉屋信子は、Wikipediaでは、その一部に次のように書かれている。

 新渡戸稲造(内村鑑三の友人)の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめる。というずーっとあとで有名になる人が、画家甲斐仁代にコメントを出している。から、画家は相当の人である。が、画家という人生は、輪転機にはなじまないので、有名ではない。今なら、一発。ネットがそれを、可能にする。だろう。作品は山ほどあって、すごい値段であるが、今のところ、それをまとめて買い上げる雅量のある金持ちは、私一人であろう。ただし、私も画家だから、一点がせいぜいである。が。

 それによると、吉屋信子は画学生の頃から、甲斐を知っていたと書いている。小説家のような人生を画家は送れない。小説家という商売は、当たってうまくいけば、輪転機のおかげで、労せずしていくらでも金が入る。が、画家は、ただ一点。それを、輪転機にかけるようなものではない。だから、画家は有名にならないし、人に知られないまま、埋もれるのを運命とする。が、それが、膨大な埋蔵金となるのは、昔からある話なのである。ゴッホの絵は、最低の値段であったことは有名であるが、今や世界の文化の宝物である。

 で、ところが、どっこい。それが、世にでる。のだ。

 その絵を買った訳だ。俗にいう掘り出し物で、あるが、それを正しく評価するだけの評論家は、すでに全て死に絶えているからこそ、私が買って、こうやって書いているのである。

 私が、駒込美術学園の夜学で、懸命に絵を描いている時の現役で活躍していた甲斐仁代は(実際にはすでに、その時当人の死は知らなかった)、吉屋信子のような小説家と比べ、あまりにも売れない自分の絵と生活を嘆き、酒にのめり込む。のめり込みながら絵を描く、という人の絵は、すごいというほかはない。いまだに、その芸術性が画面に横溢して、いる。と、言っておこう。

 ただし、その絵は多くは全部小さいし、まさにダンボールや何やら、硬い紙に描いたのであるが、キャンバスを買うまともな金がなかったからである。それでも、甲斐は描きつずける。そんな絵を、私が、買ったという訳であるが、その訳は書かない。裸で買ったその絵を、パルコにある世界堂で、立派に額装し家に飾る準備をしている。

 その理由は、簡単で、年月を超えた絵が、ますます光彩を放つからである。次回にでも、甲斐仁代の経歴を書く。全てパンフレットにあるもので。断っておくが、繰り返すと、現代的Wikipediaなどには、その記載はない。が。ゆえに、まことに尊い画家と、言っておく。学歴は、女子美術学校(現在の女子美術大学)西洋画科高等科卒、二科展にはじめに入選した女流画家、個展会場は日動画廊を始め、持っているパンフレットには、銀座文芸春秋画廊とあるから、今もある有名な出版社の画廊である、と言っておこう。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 (画家筒井友美は、女子美と武蔵美で学んだ人。)

 

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