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2018.12.08

「永遠の生命」と、31年ぶりのゼロからの翻訳聖書

 

 を、読んでいる。

 読んだのは、本の一部であるが、ロマ書(ローマの信徒への手紙)を、試しに読んでみた。マタイもルカも、少し読んだ。読んでいて、何となくスラスラと行くので、不思議に思い。31年前の訳でも、読んでみた。微妙に、少しづつ違う。

 この違いが、スラスラ読める理由であろう。読みやすいと思ったローマ書は、内容が一見難解であることで有名である。難解ではなく、難解であるような訳になっていたのである。と、も思える。英語の訳は、シンプルで、たよりがないほどであるが、日本語の訳は少し重かった。と、思う。翻訳者の意識が、そうすることをよしとしたのであろう。

 前の翻訳に関わった人は、もはや、あらかたこの世にいないであろう。人はかわり、翻訳で生活を支えられ何とか生きて、死んだのであろう。聖書を翻訳するなどと言う、素晴らしい仕事ができて、天国で満足しているので。あろう。全体の聖書の初めは「初めに神は天地を創造された」から、全ては始まる。

 聖書を、翻訳するとき無理に重くすると、内容がわからなくなるのではないか。内容がわかるためには、読みやすくしなければ、ならない。天地の創造は、その点あっさりとしたものである。島崎藤村の夜明け前は、当人が書いたもので翻訳ではない。意外に古いものあるが、読みやすい、と言うことに気づいた。難解でもない。単語の中に、古い単語があるが、それは。むしろ当時の事柄に対する、呼び方の違いであって、読みやすさ読みにくさとは、全く異なるものである。ただし、聖書の原本なるものは、2000年以上も前のもの、藤村はせいぜい100年強である。が。ともあれ、

 と、考えると。今までの日本語訳の聖書は、概ね良くないと、言えるだろう。読みにくと言うことは、内容の理解が、難解であると、思われがちである。内容を高めたいために、少し難解にする癖が、訳者にあったとすれば、それは間違っている。たとえ、永遠の生命のような、難解とならざるをえないものも、読みやすく書けば、意外にわかりやすいのではないか。例えば、人間はやり方によっては、永遠に生きる。とか、人間は永遠に生きるべく生まれている、とか。人間は、永遠であるとか、何とか。

 簡単にかけることではあるが、証明はできない。

 で、新しい聖書で、その内容が書かれている箇所を書いてみよう。イエスの復活の場面である。ヨハネによる福音書(昔は、ヨハネ伝、祖父ネットはこう表記したい)の、6章33節がわかりやすいと思う。

 英語でまず書いてみよう。For the bread of God is He who comes down from heaven and gives life to the world.である。やや軽い感じがよく出ている。

 で、旧の訳。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるのである。となっていて、字数が少ない割には、重く訳している。

 で、新訳は。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。と、以外に字数は多いのに、内容的には簡潔になっている。要するに、英語に近い、と思う。原語はギリシャ語だと、思う。

 新たな聖書は、聖書協会(祖父ネット注、銀座教文館ビル)共同訳、と称するらしい。

 ぜひお読みください。永遠の生命とは、何かがわかるでしょう。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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