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2018.12.05

「永遠の生命」と文学「夜明け前」

 

 ついに、ここまで来たのであるか。

 感無量だ。

 「永遠の生命」を書いてきたのであるが、それは結局、「神学を基礎にしていた自分」に気づいたことであった。島崎藤村を書いていて、あまりにも神学からから離れるので、無理に神学に戻ろうとしている自分、に気づき。自分が書いていた永遠の生命論は、神学なのである、と気づいた。しかし、明治学院の文豪である藤村に、要するに神学はないとも気づいた。それは、彼は英語(文芸・普通学部のこと)の人であった、とも気付かされた、ことである。

 この意識は、かなり深刻である。なぜなら。

 神学校、ないし宣教学校として、ヘボンによって創立された明治学院は、卒業した我々でさえ。藤村は、神学を勉強したのだ、と思っていた。つまり、藤村が学んだ明治学院は、その頃一体何を教えていたのであるか。これが、実は問題だと、思うようになった。それを知らなくて、だいたい同時代の慶應大学のような学校とは、およそ違うのであるから。彼は、肝心の聖書を、いったい読んだのであるか。など、かなり本質的なことに気づいた。

 と、ふと、そう思ったのである。ほとんど、呆れるほど、遅い。

 藤村が卒業したことは、明確であるが、では。彼は、そこで、何を学んだのであるか。と、本当に思う。

 この意識は、私を「明治学院百年史」(昭和52年刊行・1977年・工藤英一編纂・翌年に購入した)に向かわせた。で、あるが、その本で藤村を研究したことは、今までになかった。もっぱら、自分史に利用していたのである。

 この度、画家筒井友美の「帰る場所」という作品から、結局。帰るところとしての、島崎藤村を、読んだ。それで、幸いかなりのことが、明確になった。今までも、読んではいたが、私の神学ずきが文学に向かっていなかったので、頭に入らなかったのである。が、「永遠の生命」を、神学で極めることは今の時代、自分の力量では無理であると気付かされた。それは今や、文学でしか迫れないテーマである。と、思った途端、先を見通せるような気持ちになった。もちろん、それも後で考えると、甘かったのであるが。ともあれ、100年史で藤村は一体、明治学院で、何を学んだのであるか、と調べたのである。

 すると、おどろくべきことに。藤村は、明治学院で、やはり神学など学んでいない、とわかった(今のところ)。

 学んだのは、文芸なのである(思えば当然であるが、気がつかなかった・おかしいのであるが・自分が悪い)。それは、彼が普通学部の学生で、当然の成り行きである、とわかった。当時の明治学院は、単純に米国キリスト教の影響が大きく、全般に外国の学問に目覚めた普通学部の学徒たちの、時代的要求を満たすことができない明治学院になっていて、人気を失っていた。

 結果、生徒が当初より半減したのである。ドイツやフランスを並列的に取り上げず、新興のアメリカ(英語)にその思想を頼ったからだ、とわかった。要するに普通学部では特に、米国の宣教師学校の限界を示していたのである。明治20年ごろの話である。で、藤村も第一高等学校を受験したようだ。が、受からなかった。また、明治学院に戻り、そこを卒業したのである。しかし、彼が、聖書を読まなかったとは思われない。現に、洗礼を受けているのであるから、聖書は読んでいたはずである。

 ところが、一言も言及が、無い、のである、か。そのあたりが全くわからない。これは、藤村研究の最大の欠点ではないか。と思える。が、聖書自体が、明治学院の創業者ヘボンたちによって翻訳され、そう間もない頃で。複雑な聖書翻訳事業は、またこれはこれで、大きなドラマであるが、今の日本人には興味がないであろう。と思う。

 で、小説「夜明け前」は、第二章に至った。それは、狂死した父正樹(主人公)が、日本宗教(萬福寺)と関わっていく、深い話に展開していくところである。

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

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