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2018.12.06

「永遠の生命」と文学「夜明け前」と聖書

 

 

 という命題が、初めて浮かび上がる。

 つまり、できたての明治学院に、藤村が入学した明治20年の、米人教師を主体とする普通学部の教育は。程度が高く、宣教師が片手間にできるよなものではなかった。ようだ。

 授業はほとんど、英語の教科書を使用、英語で教育が行われていたと、書かれている。藤村はその中で、当初秀才で(後半でサボる)、問題を提出した米人教師は、成績の良い藤村を名指しして、他の生徒がデコずっていると「Now ,Mr. Shimazaki, you try」とやったらしい。ともあれ、100年史には。聖書の時間があった、とは書かれていない。しかし、これは信じられない。

 記録がないのであろう。が。当時の聖書は、いうまでももなく英語の聖書であったはずである。日本語訳が、やっとめどがついてきたところか、調べなければわからない、が。ともかく、普通学部が英語教育である以上、聖書もいうまでもなく、英語であるはずである。

 だから、彼は英語で、聖書を読んだのである。と、断定しても良い。

 その彼が、英語で。ともかくマタイ伝(現在はマタイによる福音書)を、読んだと仮定した時。遭遇したのは、デタラメなイエス系図の記述であると、推定するのはおかしくはない。新約聖書、英語では New Testament というが、これであろう。英語聖書は、ヨーロッパ精神史の真髄であるが、ここではこれ以上は書けない。

 ともあれ、秀才藤村は、それを読んで呆れたのではないか。

 馬篭の旧家であるが、その家系が追求できるのは16代が精一杯、で(夜明け前の中に書かれている)、聖書のイエスの家系は何と42代、に及んでいる。のを読んで、初めから信用しなかったのではないか。彼は、小説でもっぱら、日本の明治維新以後の、個人主義の勃興を書いただけで、聖書に書き及ぶ事は一切なかった。

 しかし、紛れもない、明治学院の出身者であれば。まして、英語がかなりできて、いたとすれば。聖書を読んで、それは大いなる疑問としてぐっと飲み込み、教師との絶対的関係性の上に立つ、封建主義の残滓を生きた人なのである。と、思えば、いろいろの疑問は、解けるのである。

 ちなみに、普通学部の教育内容が、100年史には書かれている。ので、少し羅列的に書いておこう。

 生理学、健全学、数学、星学、簿記学、唱歌、音楽、化学、物理学、地質学、史学、倫理学、英語、英文学、心理学、論理学、理財学 などで。論理学の中に、ギリシャ哲学が出ざるを得ないから、普通学部でもやはり聖書は教えたと、推定できる。それが、同じ全英語教育でも、官立の札幌農学校(現在の北大)の当初の教育に、聖書の教育は全くないにも関わらず。聖書は、ある特殊な事情のもとで読まれ、それに影響を受けたのが内村鑑三であることは、有名な話なのである。だから、キリスト教といっても、かなり違った色彩を持っている。

 ともあれ、藤村は、何らかの形で聖書に触れ、その荒唐無稽な話に呆れ果て(母マリアの処女降誕なども)、密かにいつしか明治学院キリスト教と、距離を置き始めたのではないか。実は、こういった人たち(生徒ばかりか、教師の中にも)は、私たちの時にもいっぱい、いたのである(心の中のつぶやきとして)。

 その純粋な疑問が、のちの日本の明治文豪を生む大いなる源となり。そこに、明治維新の民衆史の貴重な資料が、残ったと言えるだろう。これは、まさに日本史の幸いであり、西洋に飲み込まれない近代日本を藤村は書くことができた、と書けば。大変な話である。が。実に、難しい話になる。

 それを戦後すぐ日本に来たスイスの世界的神学者ブルンナーは、「キリスト教のつまずき」(原題の英名、SCHANDAL OF CHIRISTIANITY)を書いて、日本を引き上げていった。

 のである。

 

 筒井友美個展 「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

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