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2019.01.09

永遠の生命と、神田明神と信仰

 

 正月二日に、平田神社の参詣をして、

 その平田篤胤が、神田明神で平田派の立ち上げをやった、と知った。

 ので、昨日(7日)神田に行った。行程の電車の中では「夜明け前」を読んでいた。着いてからびっくりしたのは、そのビジネスマンたちの多さ、である。黒い正装服でわかる。

 知り合いに聞いたところ、丸の内あたりの大会社系は、部や課で、新年会がわりに神田明神に行くのが、習わしである、という。神田明神で、会社初詣をして、みんなで心持ちを整え、その後の甘酒で新年会、で親睦を深め、さあ今年も頑張ろう、というわけである。解散。あとは、気持ちの合う連中と、一杯飲むか、かコーヒーか、であろう。昔からの習わしである、という。

 いい、と思う。これでないと、変転極まり無いトランプ政治には勝てない。ものね。

 私のように、いかにもくどい、国学の事績を見るために行くものなど、いない。が、ともかくその国学発祥の碑なるものを、確認した。あまりの会社人、の多さにびっくりして冷静な判断がつかず、一夜明けて書いているが、やや冷静である。で、すでに書いた意識に達したというわけである。で、旧約聖書創世記には、人類の神を信ずる意識は、一体いつ頃から生じたのか、という誠に考古学(私が勝手にこう表現している)が書かれている。訳者の関根正雄さんが解説に書いている。

 信じるは、地球上のどこであれ、誰であれ、いつであれ、人はこれがなければ、「生きてはいけない」のである。信ずればこそ、商売も成立し、自分の生活全般も成立するのである。と、新年で教えられた。関根さんは268ページ(岩波文庫、創世記)に次のように書く。

 ヤハウェイ資料(これは専門的表現、祖父ネット注、以下同じ)が、いわば神からのみ人間を見ているのに対し、エロヒム資料は、人間の側をもそれ自身として問題にする。で、要するに旧約聖書に使われた二つの資料の混在を整理すると、という意味。初めはもっぱら、神的視点が優先し、後に人間的視点からの「信じる」という視点が、生じた。という説明である。

 要するに、テキスト的(文章的)な古代資料の古い旧約聖書から、分析し。人類の側からの、古代的な神信仰の一般的な発祥を、説明した、ということである。これを持って、人間の「信じる」行為の発祥とみなした、ということを、関根さんは説明した、わけです。

 何はともあれ、信じるとは、色々な要素があり、新年から大変ですね。ただし、これなくして、は人類はダメですね。信なくして立たず、と言います。本当だと思いますが、信ずることこそ、一番難しいと思います。

 

 

 

 

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