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2019.01.05

永遠の生命を書きながら、平田神社へ初詣、となれば

 

 キリスト教徒(私の場合は無教会)の信仰はどのようになるのであるか。

 であるが、「神道の成立」(高取正男著、平凡社ライブラリー、2017年、第10刷)を読むと。ことは、そう簡単ではないとわかる。

 平田篤胤の「仙境異聞」には、神がでる。この神は、西洋の神と同じものである、と言い切るのが学問でないこのブログ、の強みであろう。ブログは、学術書にはふさわしくない、のは、言うまでもない。まさしく、最新の表現手段に過ぎないし、誰もそこで書かれていることをオーソライズなど、していない。いわば、戯言、一時の気の迷い、である。当然、神観念は同一ではない。しかし、「神」の字が一緒だ。そこに着目した人が、関根文之助氏である。かつて戦前の、有名な明治学院の教授。国学院大学を卒業した人である。私が高校の時は引退していたと思うが、ご子息が一年先輩だった。なかなか複雑である。

 だから、ここであえて、キリスト教の神と神道の神は、同じであると、書く。

 私の場合、平田神社で久しぶりに柏手を、作法どうりに実行したのは本当に久しぶりである。建築関係の仕事だったから、地鎮祭には年中参加していた。それも、建築設計であったから、祭事では施主の次の席が与えられる。つまり、祝詞(のりと)が上がった後で、初めに参拝するのは施主、その次が設計事務所なのである。

 社長である父の代理からはじめ、最終的には社長ではなかったが、かなりの回数、でかい顔をして参加していた。で、現役をさって、そのようなことから遠ざかって久しいので、久しぶりだと言ったのである。その間も、神社年始は欠かさず行った、のは、妻が神道の学校を出ていて(内村鑑三の息女ルツ子さんと同じ学校)、彼女の日常の信仰を尊重し、年始についていった。作法を重んじて祈るのは、彼女で、私はもっぱら立って見ていた。

 が、今回ばかりは、あまり片意地をはらず、素直に、現役の頃を思い出し参拝をした。

 島崎藤村に対し、尊敬の念を表し、平田篤胤自身を神とする平田神社は、その人の偉大な事績をそのような形で残したのである、と解釈したからである。宗教といえば宗教。結局キリスト教もユダヤ教も。イスラム教も、仏教も結局は同じことなのである。そう思って、創世記を読めば、すべては解決する。が、さらに、本当の神をたづね、永遠の生命にいたるのは、いうまでもなく容易なことではない。ということぐらい、皆知っていることである。

 むしろ、無神論の方がさっぱりする。が、無神論こそ世界で一番厄介である。

 で、杉山山人(異聞に出る天狗、山の人、山人)こそが、仙境異聞の主人公少年寅吉の師匠である、という本に出会い。なんとも、天狗が同姓という不思議な経験を、正月から経験したということである。で、冒頭でご紹介した「神道の成立」を再読した。まさにそこに、日本仏教と日本の古代宗教としての神道との習合問題が、事細かに。学術的に記されていることが、初めて理解できた。

 現代社会にあって、いったい神のような、捉えがたい問題が、常に問題になるのは。所詮人間の生命は「儚い」からである。この儚さが、わかる歳になって、しまったが。ここで百人一首を一首、書いておこう。

 私が辞世の句と決めているもの。

 ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しずこころなく 花の散るらむ 。であるが、しず、とは静、ではない。賎、である。と、解釈したのは、かなり前である。日本人の高さが、よく表れている。

 

 

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