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2019.04.01

永遠の生命と社会主義と工藤英一教授

 

 「ガルスト」、が石切橋の見学によって浮上しようとは、思わなかった。

 もちろん石切橋見学は、「幸徳秋水」の研究からおこなったもので。

 小説を書くために、糸屋寿雄の「幸徳秋水」を読んでいて、行かざるを得ないことになった。人生で何度も通過し、わかっている場所なのに、一度も「石切橋」というものを意識して見たことが無い。という、自分の負い目を感じたことが発端である。

 日本の民主的で大切な党である、日本社会党を潰したのは、一体誰なのか。突然、そんな怒りが出た。

 あの時の世界の流れの必然が、それを行わしめたのか。

 

 確かに、僕は。教会の牧師Yが、礼拝説教で中間派(自民、社会の)の民社党支持発言をした時から、確かに、僕は右に寄った。ことは、間違いのないことである。僕は、気になって、文革の中国を見ようと思い。新婚間もない妻に無理をお願いし、金もないのに。日中友好青年の船(読売新聞主催)で、中国に行った。

 その時、毛沢東が突然死んで、その旅行が。北京から旧満州に急遽変更になった。実際を言えばその旅行は、毛沢東葬式への参列のような形になって、妙なものになってしまった。が、僕は、それで経験した「中国」が大いに役に立った。帰国して後、民社党の党員に登録したのは、この時である。

 で、ガルスト、であるが、僕は自分の恩師として。工藤英一を思い出した。

 恩師の工藤が死んだのは1987年で、まだまだ学者としては働き盛り、これから。

 

 という時に死んだ。六十五歳だから、今思うとガルスト研究は中途、なのである。そんなことはわからない以前の若い僕は、もちろん恩師の葬式にも行ったが。当然明治学院葬のようになり、参加者の多すぎる葬式で、僕の先生を奪われたような寂しさがあった。後で、夫人が僕を家族の一員として墓参に呼んでくれたから、少しは溜飲を下げたが。一種の公人(明治学院大学教授)の葬式は、アットホーム(家族葬)ではない。

 身内の者にとっては、返って不快な部分がある。のでは無いか。

 で、僕は、参加したいと言った妻も連れず、嫉妬しながら遠くで葬式を眺めていた。あの頃は、結婚式で卒業生が自分の恩師を、仲人に選ぶのは普通で僕も、そうしたのである。妻にしてみれば、僕がつれなくしたと思ったようだが、僕にはその疎外感を妻に経験させたくなかった。

 

 それは恩師が、僕の中学時代の家庭教師でもあるからだ。文字通り僕は、彼が恩師なのである。彼は、慶應大学から学徒出陣し、満州なども周り、人間の「罪」を、深く考える学徒になっていたようだ。本の、ガルストに書いてある。

 

 今は、多分、誰も買わない「単税太郎C.E.ガルスト/ 明治期社会運動の先駆者」などと言う、およそ書籍になじまない長いネーミングが、この本を売れない本にしているのではないか。恩師がつけたものでは無い。恩師が故人になって、十年ほどが経過した後で、出版されたもので。僕は、二冊持っていて、それは、日本社会党が産声をあげる時代を飾った、アメリカの宣教師ガルストの。高い志を書いたものだ。

 言うまでもなく、日本社会党を潰してしまった日本に、未来などあろうはずもない。

 今イギリスは、EU離脱問題で、揺れてはいる。が、その揺れこそ民主主義なのである。左右に揺れる、賛否に揺れるのは、人間の限界を表している。が、それは何も恥ずかしいことではない。むしろ。まるで。この世の意見は一個しかないと言う、単細胞政治こそ、危険なのである。

 人間という、儚いものを主体とする政治や社会が、揺れないなどというのは全くインチキであって。人間の、絶対的な高さだけで、人間の関係性を深く理解できるなどというのは、全くのデタラメである。

 

 人間は、揺らめくもの、迷うもの、異なる意見を持つもの、に過ぎない。それを、思想が、なんとか、するのだ。その下に、政治がある。それが、民主主義では無いか。

 

 僕は、石切橋に佇んで、神田川の流れに目をやり。流れる川を見下ろしながら、近くのコーヒー店でガルストを読み家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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