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2019.04.13

永遠の生命と島田清次郎原作、「地上」の大映DVDから

 

 アマゾンからあっけなく、表記のものが着いたから。

 早速開封し早速少しみた。

 が、私の中に長い間眠っていた、昔の人の私の若い時の「映画」が現れた。のは、感覚を超えている。

 

 なぜなら、この人たちは今、この地上から、全員がいない。少なくとも主要部を構成する俳優たちは、もうとっくにいない、のは当然である。この映画が、ネットによれば、

 

 大正初期のベストセラー作家、明治学院に在籍したことのある「島田清次郎」を原作に。

 新藤兼人が脚色、吉村公三郎が監督。撮影は中川芳久。主演は川口浩と野添ひとみ、田中絹代、佐分利信、香川京子。川崎敬三、小沢栄太郎と。自分の知る俳優さんだけを列記しておくが、誰も生きてはいない、のだ。だが、ここで書いている「島田清次郎」が、明治学院と関係していることこそが。ここ一連の、書きの深さとして目指すところである。

 

 ストーリーは。金沢中学五年(旧制)の大河平一郎は、針仕事で生計をたてている母のお光と(多分おみつ、と読む・田中絹代が演じている)、遊廓裏の置屋(売春婦がスタンバイする場所)の二階で、貧しい暮しを送っていた。

 ある晩、自分の借りている部屋に。冬子という若い女(香川京子が演じている)が飛びこんで来る。

 彼女は、明日。売春宿春風楼に売られることになっていたが、階下の主人に性行為を要求され部屋に逃げてきたのだ。中学生の平一郎は、泣いて嫌だと泣く冬子を見守る。この辺りの不条理描写は、今の人には絶対に書けない、わからない、意味不明であろうと推察するが。学校の授業料にも事欠くような、主人公の生活では何もできないのだ。が。諦めた冬子が、春風楼の下働き(実際は売春婦予備軍)に行こうとするところを、平一郎は反対する。

 

 ということらしいが、先に展開する島田小説の主題は、実際にはかなり明治学院的キリスト教的哲学的に展開するようである。で、あり、この映画が意図するものとは、島田小説の原文の意図とは、かなり違っていると思う。

 などとウィキ原文をかなり、訂正して書いた。

 のは、その事情を、私があの映画が作られた時代(昭和初期後半部)の人間で、だいたい隅々まで理解できるからである。で、少し観て、本当に僕はあのような映画を見て成長したのだ、とつくずく思った。

 

 便所の臭いがプンプンする、その時は。どこにでもあった近所の映画館で見たに違いない。

 幕間には、せんべいなどを売りに来るし。なんとなく幕間の倦怠をごまかしてつなぎ。結構売り上げはコツコツあったのではないか。で、映画の方は見事なもので。古い金沢の風景、もちろんそこに生きる人間の凄さ、生命力は抜群で。いうまでもなく、今に比べれば大いに貧しかった大正時代の金沢が、再現されている。

 こんなにも緻密に現場を再現し、昔の荒っぽい男っぽい、女の女っぽい。酸っぱい人間たちの、心と体の動きを再現している。見事な芸術作品と言えるだろう。

 

 改めて映画の表現能力の高みを見たと思う。

 演じた野添ひとみの墓を、僕が雑司が谷の墓地で偶然発見したのは、かなり昔で。彼女はあっけなくこの世を去ったという印象がある。深いことはウィキにあるだろうが、読む前にまず。このDVDを、羊羹を切りながら味わうような見方で、お茶でも飲みながら味わってみたいと思っている。

 

 その鑑賞の印象から。作家島田清次郎の精神を病んだとのみ強調される、彼の荒っぽい男の性と、対応する当時の女の受動的性、との。あまりに倫理的な現代的評価に対して、島田作品の底を流れる自分の知るキリスト教的判断をしてみたい。

 

 として、極端な島田狂人説を覆してみたい、と思ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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