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2019.04.18

永遠の生命と国際ペンクラブと島田清次郎

 

 

 島田が、日本で初めての国際ペンクラブ会員である、と杉森久英は書いた。

 しかし、現在のWikipediaがペンクラブを書くのに、そのことは一言も触れない。

 初代の会長はゴールズ・ワージーである、と書いてある。その会長から、会員として島田は推挙されたのだから、正式の会員である。日本にはその頃、国際的に通用するないしは国内的にも通用する、日本ペンクラブは存在していない。国際ペンクラブとて、島田が出席した時が初めての会合で、まだまだヨチヨチ歩きに過ぎない。ワージーはノーベル文学賞を取っている。

 このような時、紛れもなく正式の会員だと、言われた島田清次郎は、ともかく高揚したようだ。

 当然であろう。

 

 自分が日本の文学界をリードするのだ、と志を持ったとして。いったいそれは、彼の罪だろうか。ともかく、自分をプリンスシマダと言ったのは。大日本帝国の本物のプリンスが、大英帝国皇室を訪問していた時期と一致したかららしい。時を同じくしていたので、文学的な諧謔を込めて、彼は自分を。プリンスシマダ、と言ったに過ぎないのでは、ないか。この辺りは、誰にもわからない。

 しかし、なぜそれが悪いのか。ウィキには一切、島田清次郎が。日本の文学界の初めの会員である、と書かないのか。僕はわからないのだ。それは、彼が、単に生意気であるに過ぎないし。若いから、有頂天になっていることが、日本人には許せなかったようだ。このあたりの分析によれば、彼の傲慢と世間の嫉妬とが、見事に絡み合って。彼を狂わせていく。

 が、彼が小説に書いた「明治学院」を読んでいると、彼の明治学院(あるいは西洋文明)に対する清新で綺麗な、澄み切った気持ちは書かれていても、とても狂う人とは思えない素晴らしい物書きでると、知る。

 

 こんなところから、島田清次郎研究の切り口は、まだまだ奥が深そうである。

 が、彼のベストセラー「地上」には、M学院として明治学院が登場する。それは其の巻の最後の部分に書かれている。いわば四部作の第一部であるが、其の副題として島田は、「地に潜むもの」とした。彼の小説は社会小説だと分かれば分かるほど、彼は社会から抹殺されていく、のだ。ということが明確になっていく。

 実は、明治学院の文学部で勉強した僕は、どうして明治学院にもっとまともな文学者が出ないのか。前から不思議であった。それなら自分でやったらどうだ、という声が聞こえるが。それは、キリスト教と絡む(関係する)ゆえに、そう簡単にはいかないということが、本音だ。キリスト教で、小説家として飯が食えたのは遠藤周作一人ではなかろうか。遠藤は明治学院ではない、上智大学に絡む慶応大学出のカトリック教徒だ。Wikipediaから書くと。

 父親の仕事の都合で、幼少時代を満洲で過ごした。帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した(1942年同学中退)。

慶應義塾大学文学部仏文科を卒業後、1950年にフランスのリヨンへ留学。帰国後は批評家として活動するが、1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。

 

 ところで、

 明治学院の島崎藤村は、大正三年、1914年。四十二歳の時「桜の実の熟する時」の連載を始める。

 僕は、この桜の実、こそ島田が真似を(参考にした)したものと観測していた。しかし、それらをよく読むと、もちろん明治学院の当時のたたずまいの記述は、よく似ている、が。それは、実際を見て書いているからである。島田清次郎は、小説「地上」を刊行すると、それは一種の模倣ではないか、と悪意として最終的には指摘され、文壇から抹消されたのではないか。などと、僕も考えもした。

 しかし、それを内容から見れば、藤村のキリスト教と、島田の其の態度には明らかな相違がある。藤村作品を盗作し、島田がベストセラー「地上」を書いたとするには、いささか無理がある、と思うようになった。抹殺された理由を探るのは、実際日本文学界から抹殺されたからである。

 

 などと書いて、DVDを見ると。

 要するに、工場にストライキが起こり、それを指導するのは友愛会、という有名な労働団体、となる。其の対策をするために、東京本社からお偉いさんが現れ、まだ手つかずのうぶな役を背負う香川京子を、いわば芸妓が、その夜の接待役になる、という、見慣れた。今見ると、だらしない、いやらしいくくさい男の、よく知る貫禄のある俳優佐分利信、などであるから。と、急に見る気がしなくなる。ので、あまりにも露骨だ。

 嫌になりDVDをやめて、この文章を書き始める。一体、どうしてこうも陰湿が濃厚なのか。これがまさに本当の、島田新次郎の環境なのである、か。其の中から、ともかく東京に行き明治学院に入る。

 青年らしく、初々しく。全てが貧しいものへの目線として、書かれていく。それで聖書を読む環境ができるのであるが、この落差も実に辛い。が、あの時の、日本の紛れもないリアリティなのである。か。

 確かに、自分の中にも戦前は残っているし、本当に、嫌な日本の陰湿な原風景なのである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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