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2019.04.17

永遠の生命と明治学院と島田清次郎と、さらなる永遠

 

 展開があまりに複雑化して、全然雲を掴むような話になる。

 

 だいたい、島田のことが。明治学院図書館の奥の奥から、長く眠っている島田の本を引き出し。脈絡も意味もなく、一人の老人が。

 

 なんで、そんな本を今更研究しているのか。

 

 興味を持っている私自身が、自分に問いかけるのだが。それが、僕の永遠の生命の探求、につながると思うからである。と、言うことは簡単であるが、内容はいたって面倒な問題である。

 

 この気宇壮大なテーマは、まさにキリスト教の真髄なのであると知る、ことだけはできる。

 

 老人になって、いざ永遠の生命へ、などと目標を定めた途端、それは見事に目前から消え。人にとても説明できるテーマにはならないのが、実情である。その関連で、明治学院が出、島田が、出る。要するに、永遠の生命を考える中で、島田清次郎を考えている。島田も十五歳で明治学院に入ったが、島崎藤村も十五歳、なのではないか。僕も、十五歳なのか。島田はごく短い一年半の間に、聖書を読み、他の神学書などもこなして、その読書量は相当のものになったと推定できる。僕と比べてもしょうがないが、下手をすると、藤村より勉強したのではないか。

 

 結局、私にすれば、明治学院高校の時の教科書。神学者ブルンナーの、「永遠」を、まだ何度も読まなければ、ならなくなる。のではないか。

 

 島田清次郎が、聖書から人類救済という観念に取り憑かれて、小説を書いたのか。今のところわからない。

 

 が、図書館で昼になり、放送で。自由参加の礼拝が始まります、とアナウンスがあっても。僕は、自由参加の礼拝堂に行ったわけではない。久しぶりなので、礼拝は今どうなっているのか、と図書館に入る前には考えてはいたが。出席する気持ちは、なかった。そんなことで。もっぱら図書館で研究していたのであるが、それは島田のキリスト教との関係を探っていたのである。

 

 彼は巣鴨の養護院で、その一角にある現在の松沢病院の前身となる。特別に作られた病室から退院した、ようであるが。長年の結核のため、若い命を終わるようだ。その終焉の地に立って、彼の小説「地上」を読んでいると。なんとも、当時の人の心の動きの。過ぎ去ったときに対する、作法のようなものが、どのようなものか戸惑う。とても、今の私などが、想像も及ばないことである。

 

 結局、短い人生を送る人の、小説の中の永遠の生命は、そもそもあるのであるか。

 

 あの社会主義が表面化する大正時代の、島田清次郎の高い社会的志は。結局、誇大妄想として精神科の医師に認定されても。彼から発する、キリスト教的真実は、しかし、決して狂ってはいないのだと、言っておきたいのである。

 

 で、僕も、このブログで、これからもさらに永遠の生命を求めて、島田清次郎を書いていきたい、と思っている。

 

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

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