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2019.04.11

永遠の生命と島田清次郎の驚き

 

  僕が、今盛んに研究しかかった、島田清次郎は、

  意外な発展を僕の中に起こした。

  怖いことに、この人の研究が今は、俳人「一茶」に及ぶとは、考えもしなかった。

 

 どうして、こうなるのかもはっきりしないほど、いつの間にか一茶に及んだ。先の旅で、小布施に行き、一茶が発想したと言われる例のカエルの池を見たのが原因であろう。句の方は「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」が、急に島田清次郎を読んでいて、浮かんできた。

 

 自分があたかも。

 一茶になった気分がしたのであろう。七十七歳の今の僕の。

 

  昔知った一茶の句が、浮かぶのは、要するに。二十歳で世に出る(小説が新潮社から出版される)天才の苦悩が。杉森久英の小説(直木賞を取った)に、出るからである。それは、一種の狂気のきっかけになるのであるが、島田が死ぬのは、なんと三十一歳だから。つまり、狂気を持って死ぬのに、あと。たったの十年、というのも悲しいことではないか。

 

 僕が、最近まで全く知らなかった、明治学院に学んだ人が。

 

 このような天才とも狂人とも評価のしかねる年齢で死んだ、人であるということを知るのは。なんとも辛いのである。さらに、昔松竹で映画にもなり、その主演者が野添ひとみで、僕の青春時代(明治学院時代)の憧れの人だった、というのも。なんとも、切ない。で、親しくしている古書店の瀬戸さんに聞いてみたら、今でもアマゾンなら DVD で売っている、と教えられて。

 みてしまったところ、なんとある。

 これは、観なければとなって、安くもないその映画を買ってしまった。

 僕も、いよいよ狂ったのだと、思う自分を発見した。

 

   なぜなら、杉森さんの小説によれば、島田清次郎(通称、島清)の中に、僕が終生こだわった大逆事件も出る、からである。あの社会主義者の「堺利彦」の娘さんに恋をする、若い島田の恋心となると、は。悶々とする若き日の肉体の欲望と、の書き込みが、なんとも凄まじしい。自分の青春時代を回想する自分を、発見するからである。島田清次郎は、キリスト教的禁欲を、学んだのではないか。それをベースに小説ができた、ようなことは杉森久英も書いている。

 

 この辺りは、詳しく書かないと読者には、さっぱりわからないところであるが。

 

 やはり悶々とした青春の血を沸かした江戸期の一茶の性を、昔、研究したから僕には、わかっていた。しかし、それは若いクリスチャンの僕には鬱陶しくて、あまり深く進まなかった記憶がある。要するに、文化十三年1816年、一茶五十六歳が。七番日記に書いた。「菊婦女、夜五交」という単純にして明快な。いかにも有名になる俳諧師の性描写は、僕を悩ませたのだ。

 金沢出身の島田と北信濃出身の一茶と、小諸あたりで成長した自分、とがなんとなく重なってきて。なんともやるせない。が、信濃の豊穣な自然が育む豊かな生命力は、老年の僕を未だに魅了するのである。

 それで、名句「やせがえる 負けるな 一茶 ここにあり」という句を、えらく重要だと思い出した。

 

 時代を隔てているものの。キリスト教的苦悩と日本的苦悩は当然、違って表現される。のだから、これを考える自分も、実は大変だと、思うのである。が、情報化時代の、精緻なそれは。老年の僕を少しは正気に戻してくれる、と言っておきたい。

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

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