« 永遠の生命と島田清次郎原作、映画「地上」のDVD | トップページ | 永遠の生命と明治学院と島田清次郎と、さらなる永遠 »

2019.04.16

永遠の生命と明治学院と島田清次郎と

永遠の生命を教えてくれたのは、明治学院である。島田は、たった一年、高輪の豪邸から明治学院に通った。僕は、十年も通って、その僕が七十七歳になって明治三十二年生まれの島田を調べに、明治学院にいく、というのだから。呆れたものである。季節社という出版社が2002年に出した、島田清次郎「地上」の解説によれば。可哀想に、「この本は、貧しく学歴もないまったく無名の二十歳の青年の作品である。」と、なっている。なんと、無情で、一方的な断定であるか。それなら、なんで僕が、明治学院まで行って。島田の資料を観ているのであるか。と、憤りを感じた。明治学院は、学校ではないということか。

 新入生で混んでいる明治学院大学の図書館で、僕は。まず、島田が二十歳の頃に新潮社から出した、本。「地上」四部作四冊を出した。それは丁寧にビニール袋に保存されていて、係りの人が僕に本を渡す時、壊れていますから大切にと注意をしてくれた。僕は、その本を大切に持って、道路ぎわの明るい場所を選び、おもむろに読み始めた。深くはまだわからない。が、第一部は270版定価1円30銭、郵送料八銭、第二部は二百五十刷、第3部は二百三十一刷などと第四刷まで記録したが、それらは昭和2年の250版もので、大正9年に印刷され、発行されたもののようだ。詳しくは、まだまだ調べねばわからないことだらけだ。それらの、関連本として佐藤春夫の小説「更正記」が、あると知り、それも出してもらった。昭和29年筑摩書房が、現代日本文学全集30、として出したものの中に入っていた。で、島田清次郎の創作の本質を極める、という意味で。それぞれの巻に必ず掲げられた、巻頭言を書いておきたい。それは、すべて聖書から引用している。第1巻のものは、すでに書いたが、わかりやすくするために、もう一度書いておこう。

第1部虐げられたる者の涙流る 之を慰むる者あらざるなりーー伝道の書、第2部こは速やかに来るべし。されどその時と日は神の子といへども知る能はずーー1927、第3部神、「人もし全世界を得ると雖も その生命を失はば何かあらんや。」人、(涙含みながら)「神様、私は生命のために全世界が欲しいのでございます。」ーー1921、第4部光は暗きに照り、暗きはそれを暁(て)らさざりきーー1922 ヨハネ伝第十一章

 なにせ、久しぶりの図書館で(昔はよく利用していた)せっかくあったカードも破棄してしまっている。ので、新たにそれも作ってもらうことにし。帰ってきた。地下鉄南北線に乗るために、明治学院の正面ゲートを出ようとすると。時の大衆小説家長谷川伸の、大きな日本家屋が今も厳然と慄然と、少し高い崖の上に建っているのが見える。その建物は、僕が十年間通っていた時から、あまり変わらない姿だ。が、今や。その経緯を知る人もいないと、思いながら。坂を下り。その建物の主、長谷川伸は。昔の、第一高等学校教授、第二次世界大戦の最中に死んだ三谷隆正の腹違いの兄、であると知る。のは、僕が明治学院を卒業して、かなり後のことである。長谷川は弟の、帝大を卒業した三谷と違い、造船少年工から身を起こした人だ。などと、思い出しながら、八芳園の方向に向かった。三谷は、明治学院の中学校から、一校、帝大を卒業し。母校の教授になり、無教会派の勉強会を開いていた人と知るのも。かなり後の話なのである。と、島田が、明治学院に通ったという痕跡は。まさに小説「地上」の冒頭から、聖書が引用されている事実から明らかであると、思う。が、彼の明治学院は、彼の学歴を飾らなかった、ということなのだ。本の一番後ろに書いてある、島田の短い経歴の中にも一切書かれていない。そこに書かれた学歴は、県立第二中学校中退、と一つあるだけ。明治学院も中退なのだから、書いても良いではないかと、ムッとして。帰ってきたのである。

 本を売るために、精神病者としてピエロ化にされた、真面目な島田先輩のために。まだまだ図書館通いを、しなければならないとあらためて決心した。僕は学生に戻り、一番安いラーメン三百十円を昼飯に食って、帰ってきた。

 ◯◯◯◯

 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« 永遠の生命と島田清次郎原作、映画「地上」のDVD | トップページ | 永遠の生命と明治学院と島田清次郎と、さらなる永遠 »