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2019.05.14

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(7)興亜賛美歌という奇怪

ネット社会の尊さは、人間社会の愚と賢が、一段と精緻になることである。と、ネットで昨日、奇怪中の奇怪に出会った。ことから再認識させられた。僕らが、明治学院の戦後教育(十年間)を受けている頃。戦前にそんなことがあったとは、今もって思ってもみなかったことが、一気に明らかになった昨日だった。のは、呆れるばかりの「騙された」というはじめのショックから、少しは立ち直った。今朝である。かつて教会クリスチャンだった僕は、それが教会やミッションの学校を守る仕方のない、「方法」でもあった、と冷静になったものの。今朝これを書いているときは、またいささか感じ方も変わってきている。呆れたから、軽蔑的になってはいけないと思いつつ、もっと大人になって、やむを得ない処置。いや、積極的にそれほど。圧迫は強烈を極めていて、国家総動員の戦争の怖さと、国家権力の暴虐の深さと闇を、思わずにはいられなかった。七十七歳の僕である、とはなんと、情けない非力であろう。だから、ローマ帝国は、増殖するクリスチャンを処刑していくのであると、思いつつ。現代クリスチャンの自分を責めている。

 などと、散々ん気を持たせているが。表題の「興亜賛美歌」などというものをご存知の方はまれびとであろうと、思うのである。僕は無教会のクリスチャンであるが、本当に内村鑑三には、心から感謝している。無教会で、良かったのである、と。つくづく思っている。ただ最近無教会では、宣教の実はあげられないとも、自分を責めることもあるが、たまたま偶然に、友人の画家から昨日電話もあって(僕のブログを読む気の毒な人でもあるが)、少しは僕のキリスト教を理解していくれるところもあって、どうかしてこんなことでイエスキリストという神への信仰を、阻害しないように、僕も頑張ってみる、というのが、今朝の書きの意味するところである。が。

 戦中(第二次世界大戦・太平洋戦争)で、真面目に、本当に真面目に。かしら書きのような賛美歌が作られて、真面目に礼拝で歌われたような記録がある。大の大人が大真面目に、日本の侵略戦争を正当化して、なんと恐るべきこと。に、その正当性を賛美歌に表現して、教会で日本の勝利を歌った、という事実は、知らなかった。勝利を祈願したことは、知っていた。が、賛美歌まで、ご丁寧に作っていたとは、あきれたことである。戦争の首謀者たるキリスト教国ドイツなども、ナチズムにすり寄った教会のことは、知っていて。あきれ果ててはいたが、散々明治維新以来関係の深かったアメリカに世話になってできた学校(明治学院)も、それを賛美歌で実行していたとは。いろいろあるにしても、あきれた話である。卒業生として、組織としてのキリスト教のばかばかしさを、今更ながら、哀れんでも仕方がないが。やってしまったことは、先回の東洋英和院長と言うミッションスクールの論文捏造解任事件、なども思うと、悪魔の仕業は。やはり、さすがであると、思う。人間の弱さを言うイエスキリストの高さも、神にしてできる、ものであると、思いながら。礼拝堂で、心持ちいい気持ちになって賛美歌などを、さんざん歌っていたあの頃の若い自分を、思い出していた。無教会となってすでに20年30年も経過したから、この頃は、とんと賛美歌を歌っていない。

 もっぱら、聖書を読んで、簡単なイエスキリストの誕生の、処女生誕記事を読んで確かに、神でなければできないことであると、思うこの頃である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

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