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2019.05.08

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(1)

武藤富男をWikipediaで調べ、私なりに編集した。それをまず掲げたい。武藤 富男氏は1904年(明治37年) ~ 1998年(平成10年)を生きた人である。簡潔に書けば、戦前の満州国や日本の高級官僚で。戦後は教育者、キリスト教牧師(伝道師)。明治学院院長、恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長などを歴任している。主な略歴は下記の通りであるが、かなり複雑な人生行路とはいえ資料は意外に多い。祖父ネットは武藤氏が明治学院院長に就任した1962年の時、文学部社会学科の学生であった。安保闘争終了後の、一種の虚脱状態が学院の学生の間にあったように思う。その時、忽然と現れた人で。帝大卒業の何やら鬱陶しい人、という印象であった。特に、関わってはいないのであるが、ともあれ学院長なので時々見かけていた程度であるが。なぜか、今でも深い印象がある。その後、私も社会に出て世間を知り。少しは物がわかりかけた頃、要するに第二次世界大戦の歴史に興味を持った。そんな中で、武藤富男氏を知ると、誠に複雑で。実は戦中史そのものであることを知った。由来、興味は尽きず調べた結果、結局。氏の書いた「キリスト教入門」に、七十七歳で行き着いたのである。氏の書いた文章は、さすが秀才の文章で、かなり硬いものである。が、うまくまとめてあり、キリスト教の入門書としては抜群である。そこでブロガーとして、これを解説してみたいと思ったのである。うまくはいかないとは思うけれど、少しは難しいキリスト教を解説できるだろうと思う。それが、結局人間の「永遠の生命」の解説になるとも思うのである。ところで氏の略歴は下記の通り。 弁護士の家で書生をしながら開成夜学校学で学び、受験資格を得て一高に合格、卒業。 東京帝国大学法学部卒業、裁判官。東京地方裁判所判事。 1934年(昭和9年) 満州国司法制度構築のため、請われて渡満。満州国司法部刑事科長、国務院総務庁弘報処長、満州国協和会宣伝科長を歴任。 1943年(昭和18年) 帰国。大日本帝国政府情報局第一部長に就任。終戦直前に辞し、日米会話学院を創立。 1946年(昭和21年) 賀川豊彦とともにキリスト新聞を創刊。 1947年(昭和22年) 日本基督教団補教師となる。 1962年(昭和37年) 第7代明治学院院長に就任。 1963年(昭和38年) 明治学院東村山高等学校を設立、校長。 1977年(昭和52年) 日本キリスト党結成。第11回参議院議員選挙、全国区に立候補。戦争放棄を訴えて落選。 1988年(昭和63年) 『私と満州国』(文藝春秋)出版。一高時代より大森教会会員。満州国時代、大杉事件甘粕正彦と親交があった。甘粕を満州映画の理事長に推薦し、満州国のメディア統括のトップに立った。帰国後は、日本の戦争遂行宣伝の責任者だった。しかし、敗戦を確認し任期半ばにして退官。キリスト教徒として、再軍備反対を貫いた。安保推進の首相岸信介とは満州時代親交が深かった。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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