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2019.05.16

永遠の生命と武藤富男の「キリスト教入門」の解説(9)と興亜讃美歌の研究その二

表題の問題は、二者とも実は繋がりがある。一方は武藤富男、もう一方は興亜讃美歌。一見して繋がりがないように思うと、そうではない。前者は戦中の満州国宣伝担当の高級官僚、他方は戦中の国内キリスト教の戦争迎合讃美歌である。その実態には、いうまでもなく確たる繋がりが、ある、とはいえない。が、戦中日本の軍事侵略に迎合せざるを得なかったと、通常説明される基督教界特に、日本基督教教団と深く関係がある。どちらも明治学院とも関係が深い。ヘボンによって明治維新前から準備された明治学院は、純粋な外国の宣教学校、特に神学学校として期待されていた。ということを、僕は入学当時知らなかった。中学生の時に渡された高谷道男さんの書いた「ドクトル・ヘボン」を読むほどの技量はまだなかった。親にも見せたと思うのであるが、二人とも読まなかったと思う。僕を、明治学院に入れておきながら、両親ともそれを読むことはなかったと思う。

 が、僕は、実は初め読めなかったが、その後かなりこだわった。当初読めなかった、むづかしかったという印象を、なんとか克服したかったからである。それは、何度かの後にできた。ただ、それでも高谷という人が、まさか内村鑑三の研究会に出席していた秀才だった、とは人生の後半も後半でやっと、わかったことである。だから、初め無教会と教会という関係を整理できていない。この問題を僕たち戦後派が整理するのは、やはり相当の時間が必要だった。そして今、やっと七十七歳で、完成したと言えるだろう。それは、明治学院が深く関わったこの興亜讃美歌を持ってして、それは完成したと思う。ここまで、やったのか、と思ったのである。

 まさか、聖書を変えることはできない。聖書の解釈を変えることは可能である。自分に、都合の良い箇所は、聖書に山ほどある。が、それは、あまりなされなかったと思う。その解釈をして戦中有名になったのは、本間俊平である。しかし、彼は、真面目な大倉土木(今の大成建設)の社員大工で、いろいろの経過で、最後は東京帝国大学で基督教時局講演会まで開いた人である。が、ともあれ。その中で、讃美歌問題は、僕にとって実に深刻だ。それもご丁寧に子供讃美歌まで用意され、教会学校で歌われていたのではないかと、疑ることになったのは、僕だけかもしれない。馬鹿みたいに、真面目に僕も。教会学校の教師をしていたから、まさかこんな讃美歌があるとは思っても見ない戦後派であるが、なんとも情けない次第。キリスト教だけは、少なくとも少しは戦争に抵抗的程度の活動があって然るべしだと。思っていたのである。

 思って、今も教会クリスチャンである高校時代からの真面目なクリスチャンに。電話で、その一節を読んで聞いてもらった(歌ったわけではないが)、一言「軍歌だね」という感想だった。僕も、戦後文語調の讃美歌を歌っていたから、あまり抵抗はないが、その内容には抵抗がある。つまり、僕らは、戦中に改変されていた讃美歌の、そのまた改変された戦後讃美歌で、育てられた、と知った。「神は我がやぐら」が好きだったが、それは戦中の讃美歌からは削除された、ようだ。と知った。僕は、内村鑑三全集第25巻を読まざるを得なかった。内村は言う。「日本は聖書から科学を見る、ことがない。科学から聖書を見るから、聖書がわからなくなるのである。」と。明治維新という維新は、確かに科学が優先され、そのために宗教はないがしろにされた。科学的思想という名の下に、近代思想が入り込んだのである。しかし、欧米では、いつも当たり前のように、まず聖書があり、その聖書の研究や批判の中から科学思想を生み出したのである。その優れた科学を、聖書の検証もなく使用する日本が、アジアの先進文明国家に成長した、という歪んだ歴史を歩むことになった日本、と内村は分析もし、予言もしたのでる。

 

 今の日本は、科学によって、世界の孤児になった、と言って、今日は僕も書き続けられない。対処法は、ないのか。日本を世界史の正常値に、どうすれば戻せるのであろう。七十七歳の戦いは続く。

 ◯◯◯◯◯

 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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