« 永遠の生命と上州安中有田屋と島田清次郎(2)とフルベッキの秘密と売春防止法 | トップページ | 永遠の生命とエジプトの至宝ツタンカーメン »

2019.05.03

永遠の生命と島田清次郎と吉倉汪聖

 

 昨日、世界堂で額装が完成したというので出かけた。

 額装をしてくださったのは世界堂に勤める画家で、武蔵野美術大学出の才媛である。

 その念入りな仕事ぶりから、僕は10年ほど、この方の額装に頼っている。死ぬまで、変わらないだろう。いつも祖父ネットの最後に紹介している「帰る場所」の作家である。

 

 で、いつもながら念入りに素晴らしいものに仕上がったのであるが、その中身は古いマッチ箱である。

 昔、僕が池袋の骨董品屋さんから買ったものを、今はなき中国画材という画材屋さんで額装してもらった。透明なアクリルに、箱状にして額装してくれたのは上野さんという人で、今は神田の文房堂(ぶんぽうどう)で働いている。その上野さんのアクリル額装に、さらに世界堂の額装をしたのは、訳があるのは当然である。

 一つはそのマッチ、売っていただけあって、今では貴重品である。

 僕が買ったわけは簡単で。そのマッチを作った大会社は、僕らの会社(建築設計)のお得意様で、僕の祖父の代からのお得意様なのである。僕も現役の頃は、父と一緒に、丸の内にあったその会社を頻繁に訪問した。し、僕の結婚式にも、その会社の施設部長が出席してくれている。ともかく、足を向けては寝られないほど、世話になった。実は、世話になったのは、私たちのような狭い範囲の問題ばかりではない。大げさに言えば、戦後の日本国民全体が、実は世話になっているのである。つまり、日本の最大の漁業会社で、戦後直近の日本の食糧難を、この会社の水産物が支えた。世界が戦争をしている時期に、漁業は衰退したのは当然である。

 僕などは、父が零戦を作る工場を信州中込で担当していたので、中込の小学校に三年まで在学して、東京に移動した。その時(戦中)、大洋漁業は兵士の食料を支えるため危険な海上で、少ない漁船で。食料を確保すべく、頑張っていたのである。あの当時は、漁船そのものが戦闘に参加もしていて、これは戦争秘話として伝わっている。

 が、ともあれ、当時の漁獲高は国民の食料や、外地で戦う兵士の食料で慢性的に不足していた。

 で、その分、特に太平洋では魚が繁茂し、戦後の日本の食料を支えたことは論を待たない。その会社のマッチを、僕が池袋の骨董品屋さんで見つけたのである。実は、額装にさらに額装をしたのは、この作品を、ある人にプレゼントするためである。

 

 プレゼント先は山口新聞のコラムニストだった吉倉揠(よしくら・あつむ)さんだ。

 僕より10歳も上で、そこの新聞記者をしていて、コラムニストに抜擢された人だ。この話は、不思議極まる話で、書くのも嫌になるほど深い。書けば書くほど奇跡的で複雑で書きたくない。ほどだ。

 で、世界堂から戻ってみると、頼んでいた古書「思想の科学・1980年五月」版が、届いていた。そこに、吉倉さんの祖父の「吉倉汪聖論」が、書いてあるので頼んでいたのである。で、早速読んでびっくりした。吉倉さんから聞いていたことはごく一部で、その一層の深層が書かれていた。

 それは、僕のキリスト教的深層と重なる。北村透谷、島崎藤村、宣教師ドクター・ウィン、さらに梅花女学院、松ノ井久子(同じ教会の先輩)、などが書かれている。僕は一気に読みながら。僕のキリスト教の知識の深みを刺激してきたのには、びっくりした。現在、吉倉氏は車椅子で、僕は彼を見舞うために。額装マッチを持って、彼を見舞うつもりだった。が、金沢出身の島田清次郎のことを、もしかしたら吉倉さんは知っているかもしれないと、思って電話したに過ぎない。10年以上も電話していない。

 

 その電話を入れた結果が、これなのである。

 が。これ以上書くのは嫌になった。これは厄介な思想の問題、となったと思った。のは、「吉倉汪聖」という人が有名な「黒龍会」の人である、ということと深い関係がある、とのみ今日は書く。

 

 黒龍会をWikipediaがどう書いているかは、わからないが。戦前に存在した大変な団体であるということ、それ自体が大変であるが。

 ーーーーーーーーーーーー

 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

 

|

« 永遠の生命と上州安中有田屋と島田清次郎(2)とフルベッキの秘密と売春防止法 | トップページ | 永遠の生命とエジプトの至宝ツタンカーメン »