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2019.06.27

永遠の生命と、レミレザブルで入院となるの記

 入院中に読んだ本は四冊。全部を、読みきったというのではない。中心はエミールブルンナー「ロマ書」、次が「レミゼラブル」、その中。病院の中で買ったものが「オレたちバブル入行組」、「武蔵野樹林・縄文の武蔵野」。で、読み切ったのが、入行と武蔵野である。ユゴーは、未だ完読していない。もちろんロマ書も、まだまだ先が長いに違いない。レミゼラブルの長さは有名で、まるで聖書である。ロマ書は、すらすら読めない。書いてあることは、クリスチャンにとってそんなに難解ではない。難解を避けるブルンナーは、質の高い素晴らしい神学者である。だが、内容にいちいち感心する。から、前に進むことができない。そこまででいいよ、と言ってしまえば、それでいいのである。神を信じるということは、何も深く論理することではない。結局、静かに観想する他にはないのである。そこに行くとユゴーは、ともかく複雑極まりない。物語はヨーロッパ史に渡っているし、そのテーマは複雑である。人間的な結論も、様々で。もちろん神は出るが、ブルンナーに出る神学的な、純金のような、純度の高い神ではない。むしろ、ドロドロとした塊で、流動的でその中の金は、どこにあるのやら、訳が分からなくなる。それでも、ユゴーは書き続ける。こちらは読み続ける。疲れる、やめたくなる。なにせ病人である。で、ブルンナーに戻る、またユゴーへ、と繰り返し、たのだ。そんな中、ほとほと疲れ果て、売店で買ったものが、後の二冊。入行組の作家は池井戸潤さん、素晴らしい人だ。こういった本を買ったのは、タイトルの「バブル」という言葉に惹かれたからである。まさに、僕はその時を生きた人間なのだ。知っていて関わった銀行、なども出るは出るはで、自分の体験と見事に一致してくる。僕は、もちろんバンカーのようなものではない。主人公は慶応大学で、僕は明治学院。そんな大銀行を狙う僕ではない。就職の時、てんで、鼻から問題にしていない(向こうも問題にしていない)。が、社会に出てから巻き込まれた。その中で、絵画もバブルの影の主役だったのである。僕の勉強は明治学院の神学が10年(文学部)、夜学の駒美、の油絵科が約5年。だ。その僕が、建築設計事務所の営業などをやっていたことが、このバブル小説の中で、まさに「踊った」。一気に読んだ。こういったものをあまり、最近読んだことが、ない。のに、僕は一気に読んだ。手術のあとベットで予後を養っていた時で。その間、約一週間強。今、家にいて書いている。そんな中、ホッとしたのが武蔵野樹林、素晴らしい雑誌だ。素晴らしい若者たち(僕の年齢七十七歳から見て)が、見事なインテリジェンスを発揮。して、日本の高い教養を明示してくれた。僕は久しぶりにその本で、武蔵野樹林をさまよい歩いた。で、なんとか、退院。なにせ切った切った病気なので、下血が治るのは一ヶ月と、覚悟している。日常生活には、なんの心配もない。覚悟が決まったので、これを書いた。画家の筒井が、メールをくれて。術後の心配をしてくれたので、メールを返し。収穫の多い入院でした、と返信した。武蔵野樹林には、「美術館とは何か・金沢21世紀美術館を訪ねて」という記事があった、僕はこれをネタに筒井と大いに話してみたい。偶然である。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

再び、ウィーン。ただし、ハプスブルグ家から発する、市民革命の目線は明らかに変わった。ユゴーのレミゼラブル、その「ワーテルロー」を読んだからである。ナポレオン最後の、敗戦記、は凄まじかった。あの雄叫び、殺し合いはヨーロッパの優雅を生み出す、のか。と思うと、ウィーンがいささか、しらけ気味になった。単なる、馬鹿どもに過ぎないキリスト教のヨーロッパ人。近代史の思想の流れは、高いものと思っていたが。日本の思想の方が、明らかに質的に高い。ただし、非論理的だ。突き詰めれば、一汁一菜。空(くう)。なんとも情けない次第。下の写真はヴィデオからスマホでショートカット。全て自分の撮影したウィーン。

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