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2019.06.03

永遠の生命と発行部数と実売部数、という記事

 毎日新聞今朝のニュース(六月三日月曜日)でかしら書きの問題を読んだ。実にデリケートな問題で、商売としての売文の「凄さ」「真剣さ」にびっくりした。僕などのように全くの素人のブロガーが、どしどし書くこの祖父ネットは、要するに宗教ネットという意識であるが。全く売れるとは思えないものである。もし、言論の自由というものが今も生きているのであれば、これこそ自由というものであろう。ただし、この自由。罵詈雑言であれ、高邁な信仰であれ、大して違いはない。のかもしれない。要するに、ただなのだ。僕などは、明治学院大学文学部を卒業したとき、出版社などという高邁な会社に就職を希望しなかったのは、漢字に弱く思想に興味があるので、とても僕には無理だと鼻から決めてかかっていた。で、そう言った売文系には行かないで、体を使うサービス系のホテルマンになったときには、同級生に笑われた。が、笑った人たちは一体、今。どこに生きたのであろう。当時の大学では大学が、ほぼ15%にもならない時の新制大学のエリートだと言われた理由など、その時知る由もなかった。戦後の1964年あたりのことで、高度成長が始まったばかりの就職で、就職を特に。今のように考えたことはなく。ともかく社会に出て、なんとかしようという程度の意識でTBSも受験したが、深い意味があったわけではない。そんな僕でも生き残って今幸せに、祖父ネットなどで基督教の宣教をしているが。僕は神は全ての人間を救ってくださると思っているし、それも無料でお救いくださる、と本気に思っている。ただこう言った想いは、成功した老人の妄想で、僕にはなんの参考にもならないと、いうのであれば。さもあらん、説得のしようはないのである。で、有料のキリスト教の分厚い神学書を買ったとして、教会に行ったとして、果たしてわかるものなのであろうか。と、ブロガーの僕は言いたいのである。どうも本の出版会社が、作家に払う印税は発行部数なのであって、要するに一冊売れたから幾ら払うということではないようだ、と出版業界の商売の秘密を知った、ので。新潮社に金お受け取りに行く、僕の先輩の天才小説家島田清次郎のベストセラーぶりと、彼に入った金の関係が、やっと読めるようになったのは。僕の今朝の収穫である、と言える。要するに、出版の自由とは、なんら関係のない、デリケートな経済問題なのである。で、一品一作の絵画から見れば、いたって他愛ない問題であると、言っておこう。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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この上の本の島田清次郎は、僕の誇る明治学院の先輩である。当時、新潮社から小説が出て、彼は一躍時代のスターになった。極貧の彼が、新潮社に自分の売り上げを取りに行く場面が、僕にはイマイチ不明だったのである。

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