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2019.06.04

永遠の生命とブルンナーの人間論の終焉と絶望、について

 

 

 熊沢英昭が自分の子供を殺した時、僕は家の近くに起こったこの事件が横浜カリタス小学校事件の影響であったと、知った時。書かざるを得ない、自分を悲しんだのは。犯人の熊沢が僕と歳がほぼ同じで、その気持ちが多少とも伝わるからである。第一に横浜小学生殺傷事件についてもここで書いているし、自分の息子があろうことか同じ事件を起こす可能性を遮断した父親の決断だったと、知った時には。全く書くことの無意味を思い知らされた。ブルンナーの「人間・その現実と真実」(昭和31年・1956年新教出版社)を読む無意味を感じた。読む、と言うより何か三島由紀夫を思い出した。要するに行動論である。僕のような人間が、この行動論に思い至るのは、一種の人間絶望論で、あって。キリスト教徒の僕が、絶望論で進むことなどできるものではない。し、僕には、三島ほどの行動が起こるとも考えられない軟弱であるから。僕は人間論(ブルンナー)を読むことにした。三島由紀夫の事件を経験した同じ年代としての僕に、殺人を犯した熊沢英昭と三島との繋がりを、想起させた。が、殺人はカインの末裔(有島武郎著)の主要テーマとも通じる人間論なのである。だから内村鑑三は、有島の離反をいたく悲しんで、再び会いたくないと言ったようだと、知るのである。熊沢が多分農林水産省の役人になった時(推定・内村鑑三の最初の勤務先)、僕は三島事件のあの時に、その脇を通って内幸町のあるビルを目指してタクシーに乗っていた。タクシーの中で、三島が事件を起こしたと知った。タクシーはちょうど皇居前あたりで(事件を聞いた瞬間、その時は)農林省の前を過ぎれば目指すビルだったので。熊沢はその時、農林省のでかいビルのどこかで仕事をしていて、二ユースはかなり後で聞いたのであろう、と推定している。ただ時代の風であった三島は、同じ東大だから、いくら三島が旧制の帝大時代の人間とはいえ、その精神論は繋がらざるを得ないのではないか。僕などは明治学院だから、聖書的精神論であるが、それがイエスキリストの磔刑の精神となっているのは、本来僕も磔刑組でなければ治らないものであろう。だが、僕はローマ帝国の迫害を受けるイエス以後のクリスチャンではないので。現代のクリスチャンとして多分他人は不満であろう。クリスチャンならそれぐらいはなんでもないだろう、と言われることのない時代でも、茗荷谷のキリシタン屋敷で新井白石の尋問を受けて処刑された、最後の宣教師シドチのことは、僕はよく知るのである。僕は、その地を度々訪れて、江戸時代のその辺りのキリシタン屋敷の佇まいを、しのぶのであるが。僕は自分が十字架につくとは、正直思ってもいないクリスチャンなのである。で、そんな軟弱なクリスチャンで世のため人のために、何もできないではないかと、言われるのは目に見えている。僕は三島があの事件を起こした悲惨を現場で新聞撮影をしたのが、僕の明治学院時代の同窓生であるとは、知ってはいるが。その人の顔も名前も、あったこともないので深くは知らない(高校時代で組みが違うので)。し、三島の盾の会には、明治学院のものもいて、三島の介錯をしたと言う人もいるぐらいであるから、僕の心境は複雑にはならない。ほど、冷めたものになっている。のは、僕が祈るからである。もう遠くの話であるが、僕の牧師のフェイリス女学院の院長だった山永武雄は、これからは犠牲的社会事業は、キリスト教から一般社会事業へと変身していくと、予想していた。もっぱら、古い犠牲的社会事業はキリスト教(あるいは他の宗教)の専管事業であったが、きっと社会がそれを担っていく時になるだろうと、山永は予想していたのである。それは、見事、その通りになって。個人的犠牲的精神は、失われてしまったような表面的現象の社会になって。若い人は、きっと物足りないであろうと、思うものの。これが社会の発展であると言うのは、確かに弁証法でしか書けないブルンナー的人間論ではないかと、思ったのである。僕も現在は社会福祉非実行型のクリスチャンとして、ただただ残念であるが、僕はもっとしっかりとブルンナーの人間論を読むつもりになった、今朝であった。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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