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2019.07.17

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十二)

 今朝は、実は気分が爽やかだ。なぜなら。自分の人生の、もやもやが、一切吹き飛んだからである。このもやもや、は僕の一生(七十七歳)に、今までまとわりついて、いて。僕は、自分をある教会の講壇にいると仮定し、聴衆に向かって。僕のもやもやを一気に話した、という白日夢で解決した。それは、いたって僕にとって気分のいいもので、思い切って、自分を吐露した。その教会の講壇とは、僕が洗礼を受けた教会で、その講壇にもちろん現実に立つ気などないが、僕は自分で。想像することは、そこでだけしか話せないもやもや、として。いくら白昼夢としても。舞台として、そこしかないものである。それは、一冊の本で解決した。今朝、郵便ポストに入っていたもので、僕が依頼していたもである。それは、関西学院大学神学研究誌からヒントを得たもので、まさにブルンナーの本だった、のである。題名は「聖書の『真理』の性格」という古書で、少し読んで、たちまち納得した。確かに、この本こそ、戦後の我々教会青年の全てが書いてある、と言っても間違いがない。この本は、ブルンナーが日本に来て、国際基督教大学の講師(身分不明、初め学長を依頼、断られる)として、二度日本に来た大目的の、集約がなされている。少し、ページが破れて、今ボンドで補強する作業をしている。しばらくすれば、一段と読めるようになるだろう。一部、ざっと読みで補強作業をしたのであるが、確かに、これこそ。それなのである。実は、この本に、一番影響されたのは、僕ではない。僕より上の年齢のものである。特に、藤田約(つづむ)という人物がいて、明治学院中高から、できたての国際基督教大学に行った、先輩である。僕はその時、まだ高校生で、彼は大学生。白昼夢の教会で、一緒になった。僕を殊の外可愛がって、僕の今の嫁さんまで世話をしてくれた、人だ。で、僕は、彼に着目したのは、彼が大逆事件で刑死した大石誠之助の血を、引いた人物である、ということから来ている。大石は、首謀者幸徳秋水と違い、思想的に高いアナーキスト、ではない。むしろ、あの頃の高い教養人で、医者であった人だ。和歌山の新宮の、貧しい人からは金を取らない医者で、アメリカ仕込みの医者、であった。その血筋の先輩も、アナーキストとは程遠い、クリスチャンで女好き、どちらかといえばドンファンで、えらく女にモテた。いい男と、いうのではなくて、気さくで要するにキザなのだ。背も高くいわゆる、あの頃のナイスガイ、なのだ。明治学院の後輩の僕を、よく引っ張り出して。本郷東大のキリスト教学生会に、僕を子分として連れて行った。僕は、優秀な大学生の仲間に入れず、廊下で待たされながら、昼飯だから何を食うか。注文は中華、などというから、僕は初めて、そこで。餃子なるものを食って感動したのである。その彼は、アメリカ、ドイツ、スイスを放浪し。ニューヨークで、日本人看護師と子供を作り、世界の闇に消えた。僕は、日本に来た看護師が、彼の母親を慕ってきたとき、会おうと思ったが、お断りした。彼のドンファンぶりなどより、彼の。僕に対する親切が身に染みていて、そのイメージを壊されたくなかったからで、ある。僕は、白昼夢の中で、ブルンナー神学を理解できたと、思った。そこに、藤田の神学的苦衷が書いてあった。彼は、その真実をたづねて、世界を放浪し、消えたのである。と、信じている。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

藤田が消えたスイスの神学的象徴の山。マッターホルン。多分、このどこかで、彼はのたれ死んだのであろう。

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僕は、こんな気楽な服装で、こんなスゲーアルプスを歩いたのだ。つまり、非常に単純なキリスト教と、見事に考え方が一致しているスイスの観光ルートである。と、最近気づく。実写。

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なんども、ここで掲載している、呆れるほどキリスト教的なマッターホルン。鋭い刃状のこの山は、困難な人間の救済を、キリスト教的かつ神学的に表現している。が信仰とは、神と内実の自己との会話に過ぎない。山自体は、日本と違って信仰の山ではない。神との会話は、その人の内実の中にある、と神学は語っている。実写。

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これなども、スイス宗教改革者として有名なカルヴァンの家を表す碑だが、下の方に落書きがある。いくら国の偉い人でも、この程度でスイスは、騒がず、いつの間にか黙ってそれを消す。が、また誰かが、いたずら書きをする。それを刑法であるとか、非道徳的であるとか、そんなことは一切彼らは言わない。ほっておいて、黙って消して、また誰かが書く。という繰り返しは、いかにもキリスト教的で面白いと、僕は思う。実写。

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もちろん、これもスイスのポスターであるが、別に意識して整理し、貼っているようには見えない。が、なんとなく垢抜けしている。もちろんローマ字的デザインの、いいところであるとは思うのであるが。彼らは自然に、宗教的簡素を身につけて、長い歴史を刻んでいる。実写。僕は、それが好きで、好きで。

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これなども、僕ら夫婦がトレッキングした道を振り返って見て、撮影している。今改めて見ているが、信じられない。まるで、今の僕のキリスト教の心象風景のようだ。実写。

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