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2019.07.19

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十八)

 前回の書きで、いい言葉を思いついた。キリスト教徒的原始的モデル、という言葉である。もっと言えばキリスト教的原始的生活モデル、か。七十七歳の今から思えば、これが僕の生活モデルである。この生活に、しかし。キリスト教ではいちばん肝心な、教会生活は入っていないのは、五十代ぐらいで無教会になったからで。無教会にナルト、一段と内村鑑三的原始的モデルになった、と思っている。僕という人間を嫌うものも、大いにいて。それが、辛い。まず列挙すると。ゴルフはしない。浮気もしない(心の中は自然主義)。食事の前はお祈りをする。就寝前もお祈りをする。聖書を読む。酒は飲まない。タバコは吸わない。会社の仕事に表裏を作らないで励む。会社の掃除をする。車は持たない。家は新築せず中古を買う。読書をする。喫茶店で雑談する。積極的には飲みにはいかない、飲まない。絵を描く。祖父ネットを書く。水泳を一人でする(仲間を作らない)。嘘をつかない。ざっと、こんな息詰まる生活が、僕の生活だった。夫婦で旅行する。妻を立てる。親孝行をする。他人の人生には口を出さない。会社の経理で一銭たりとも自己利得を計らない(心がけ)。ただ、口先卑猥をやめない(あまりの聖人君主なので、嫌がられる)。ので喋り、すけべーで通す(営業マンだった)。など、こんなところか。これが、なんでキリスト教的原始生活モデルなのか。って、これが僕のキリスト教的原始生活的モデルなのです。要するに、実践的モデルなのである。人は、信じられないというが、これが僕の実務的信用を、大いに培養し。会社経営を、なんとか乗り切って、今年金を、生きている。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

僕が成長した、信州の家。十歳ぐらいまで、ここで生活をした。僕の実写。さて、のぞいているのは、誰かな。僕の両親が、この田中さんの家を借りていたのである。以下同じ。このころのカメラは、バカチョンインスタント、だったか、な。

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