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2019.07.12

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十八)

 十七という番号振りをミス、したようだ。ところで、ジャーニーズ。全く知らない人である。もちろん度々耳にしていた、なんやらグループは知っていたが、なんにも知らなかった。まさか、少年を生かして、「アイドル」化する、などと言うことを考えて、それをバッチリ文化とか経済とかにした、影の人がいたとは、全然知らなかった。もともと、男があのようなことをすると言う発想が、僕にはない。僕は、三島由紀夫の世界。神風特攻隊とか、決死の覚悟突撃、とか撃ちてし止まん、とか。勝ってくるぞと勇ましく、とか。ここはお国の何百里、とか。なんとか、勝つまで我慢とか、僕の名前が、勝己だから。そういったことである。昭和16年、生まれ。だもの。ところが、ここ自然に耳に入った人は僕より、年上だ。僕らの先輩だ。で、こんなことが重なった。僕は、ジャニーズさんを知らなかったから、なんとなくここのところで、全てがわかった。で、電話を入れた。ジャニーズさんにではない。ジャニーズさんより年上の、僕の世話になった先輩の、息子に、である。会話は、こうだ。「おうおう俺だ」「お久しぶりです」「で、ジャーニーズだが、、、」「はははは、わかりましたか、さすがいい感をしていますね。」「そう死んだのか」「そう四月」「父上は、あの年代の代表者だね」「ハハハハハ」「墓に入れたのか、芝増上寺の墓の番号は」「何番です」「墓参りした後で、コーヒーに行くよ」「ところで、母も危ないんです」「ハハハハハ、マー歳から当然だ」「いい男だったね。」では、では、で電話を切った。僕が、番号を間違えたのは、慌てていたからである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

僕も、先輩も軽井沢には縁があった。妙なものだ。妙に踏ん張った戦前派で、僕は彼らを先輩に持てて、ずいぶん可愛がられて感謝している。だが彼らは、戦前。先輩にぶん殴られて育った。だから、決して後輩の僕らを、ハラなかった。もしやっていたら、僕は彼らを殺していた、ね。この絵は、浅間山。彼の別荘があった。先輩たちは、大方軽井沢に別荘を持っていた。その彼らは、みんな。これで死に絶えた。この絵は、僕が描いたもので、油彩100号F。あまりに細かいので、描いているうちに、ぶっ壊したくなって、バッチリと壊してしまった。僕の頭の中では、浅間山は爆発山なのである。僕は、その爆発を見ながら成長した。信州佐久の農村地帯が、僕の成長したキャンバスなのだ。膨大な自然が未だ僕を抱きしめている。が、日本は戦争中である。

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810

製作中。この時、子供絵画教室と併用しながら、制作している。 

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示現会(国立新美術館)に、出品した時のもの。

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僕が利用した実写の浅間山。

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これも、制作途中。全て変遷が激しく最後は壊れて、この世から消えた。

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縦で撮影してみた。横よりも、いいね。

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これはやはり、軽井沢。自分としては成功した部類。今も手元にある。売れば100万はする。F80号油彩。

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これも、かなり手こずったもの、今は安定して僕の手元にある。F80号、油彩。

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ある日の示現会風景。今は退会している。一応、準会員まで行ったが、これ以上は興味がないので退会し。現在は、個展方式に切り替えている。

 

 

 

 

 

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