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2019.07.14

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十七)

 僕は、期せずして、このようにブルンナー研究をしている、のであるが。僕は、ここまで来て、また期せずして僕の研究において、彼のことを「闇に立ち向かった神学者」というネーミングを、彼につけることにした。この意識は、彼の中にある、不思議な時系列の不備と混乱に気付くからである。僕は、明治学院高校の時の教科書「我らの信仰」に影響を受けた。が、僕らがそれを読んだときは、いわば戦後、である。で僕は。それは当時日本にも来ていた、ブルンナー自身が、わざわざ戦後書いたもの、とばかり解釈していた。しかし、よく調べてみると(五十代になって)、それは。全くの誤解で。彼がそれを書いたのはもっと前で、日本でそれが出版されたのは、昭和12年のことと。と知った。こういった、時系列の乱れは、僕らを甚だしく混乱させた。要するに僕らが使った教科書は、戦前の本だったのである。これは、かなり異常である。あのとき、日本は敗戦し、戦前の教科書は、いうまでもなく一式、書き直されたのではないか。咲いた、咲いた桜が、咲いた。とかなんとか、それは戦前で、戦後は、忘れてしまったが、小学校は新制教育で。先生の頭は、旧制で僕らは、そんな教師に教わったのである。だから僕らは、頭が少し変だ。すっきりしなまま、僕らの教育は始まったのである。要するに、僕は新制二年生なのである。昭和15年が新制一期生で、僕は二期制なのである。で、新制は機能したのか。僕は、今思うと、すぐ上手くいくわけがないと同情するのは歳をとったせいである。教師は、戦前教育をやった人ばかり。その人たちが、食わんがために新たな教育制度の中で呻吟したのである。と、今の僕はわかる。どちらにしても、旧制教育は一掃されて、民主教育が一斉に実行されたのである。だから、僕らは、国語社会算数などの中に、新制の日本の民主制の息吹を感じて。教育を受けていたのである。が、どっこい、明治学院では、戦前に出版されていたブルンナーの本を、教科書にしていた、とはとは、びっくりポンの異常であろう。しかし、そこにこそ、エミールブルンナーの神学的苦悩と高さが、如実に表現されているのである。その構造が、理解されれた上で、彼の神学書は戦後の教科書に、なった。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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あのとき一緒になった、人たち。中に、有名な登山家がいたようだし、外人もいる。が、誰も登山の格好などしていない。登山家は足関節を悪くして、岩にしがみついてヒマヤラに登山した時の、若い自分を回顧していた。僕は右側にいるいい男だ。グループの仲間が実写した、と思う。コンタックスと富士フイルム。で。

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