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2019.07.13

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(二十四)

 ヘブライ人への手紙、のキリスト教的律法記述に(第10章)、徹底的にやられたユダヤ教のユダヤ人の、反応は。聖書に、書かれなかった、のかどうか。反論は新約聖書的ではないかもしれず、もはや意味を持たなかったのかもしれない。すでに、時遅し、ユダヤ人は、新興のキリスト教に徹底的に痛めつけられる。イエスが、刑死するきっかけのような、激しい旧守の暴動も、もはや起こらなかったようだ。要するに、ユダヤ教の祭司たちは、長年慣習的に捧げた、犠牲の動物たちの血の効力を毀損されたのである。それは、神も喜ばす効果もない。と、それで。人間の救いなどは、ないと言われてしまった。イエスが自分を犠牲にして、神に自分御身を捧げた、その一回性をこそ、神は喜ばれる、とキリスト教徒は説いている。なんともモダンで進んだ考え方だろう。多分、これが旧来の原始社会が、古代社会へと変身して行く、姿なのであろう。地球上の人間の、原始的動物的な感情が発達し、より合理化されたとも受け取れる。ともかく、そんなことで。キリスト教は流行り始め、ローマ帝国内を席巻し始めるのだ。この高い論理性は、見事であるといって良いであろう。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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登山電車は右側に下っているような気がする。うろ覚えに過ぎないが、多分帰路であろう。突然見えたので思わず、車内から撮影した実写。ともあれコンタックスというカメラがいいのである。突然、であるにも関わらず、手ブレなど全くないのが不思議だ。プロの写真家が撮ったといっても通用する。絞り最小の自動設定なのだ。フイルムは富士フイルム。

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