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2019.07.10

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十六)

 前回15回目で、えらく面倒なことを書いたので、今後。それはいたって高邁な展開になる、と思っている人もいるかもしれない。まして、英語かなんかの話もでるから、てんで歯が立たない、と思っている人も、これを読んだ人の中にはいるような気がする。さにあらず。それは間違っている。英語で読めば、読むほどそれはばかばかしいほど、簡単な話になって、てんでありがたくない話に、展開する。英語がわからなと、嫌な感じがして、わからないのはどこか奇妙で、うすきみが悪いのであるが、それも間違っている。それは、簡単明瞭、てんで頭から問題にならない。むしろ簡単で、あっけなく。ありがたくなどないのである。聞いてもわからないお経慣れしている日本人は、経は「ありがたいもの」と、思う習慣がある。それは、聞くだけでは非論理で、お線香の中で、じっとして聞いていると悟りを開けるらしく、思うのが、味噌で。実は、そう思っているに過ぎない。そこに行くとキリスト教は、あっけないほど単純で、何もありがたくない。ありがたいと、多少思えるのは、ヨーロッパにある豪華なでかい教会を見るからで、内部の装飾も恐るべき、ものがある。から、そう思っているが。宗教改革以来簡素になった教会は、もっぱら解放された聖書をもとにするので、英語で読んだ場合、あまりにもあっけないので、びっくりするのである。ある意味では、全然、ありがたくない。で、そんな箇所を例にすると。ヘブライ人の手紙第三章第4節・日本語聖書では、「万物を作られたのは神なのです」これを英語でいうと、「He who built all things is God 」だから笑ってしまうのである。ただ、これを信じた場合、いたって明確でよいと思う。これ以上は言うこともない。だから、神にお任せして心安らかに、この世界に生きていくと言う人生観である。果たして、これで君は、満足するのか、聞きたいところである。が、これがすべての前提で、イエスキリストは、その神の御子、なのである。だから、このあたりから内容が、すべて論理的となり、説明的となるのが、キリスト教の特徴である。何も、難しいことを言っているのではなく、単に、信じ難きことを論理的に言っているに過ぎない。で、ブルンナーさんに戻れるようだ。つまり、厳然とした前提のある、話に過ぎない、と言うことを言って永遠の生命論に、戻りたい。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

あるスイスの街、多分モントールかな。実写。

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