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2019.07.10

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十五)

 確かに「永遠の生命」などという、問題を真剣に考えるというのは、人間の滅多にやれる問題ではない。タワムレなら、いくらでもできる。また、宗教的習慣として、葬式的感覚で永遠を信じて、というのなら、人間が1000年も2000年も、いやそれ以上人間がやってきた、平凡なことであろう。だがしかし、そうではなく。ここでは宗教的にはキリスト教で、非葬儀的に、それをやるとなると、ことは言うまでもなく簡単ではない。で、一段と、論理的問題として難しくなってくる。のであるが。そこで、英語和語の表題概念確認問題は、さておいて。肝心要の聖書の中から、「ヘブライ人への手紙」、を選定し、隅から隅までくまなくよく読んで、その意味を今、噛み締め始めた。ヘブライ人への手紙は、新約聖書全27編中の第19編にあるカテゴリーである。それを研究している。結局、ブルンナーさんの言うことは、イエスの復活なくしては成り立たない永遠の生命、なのであり。別に便法などを説いているわけではない。だからイエスの復活の様々な局面を、ユダヤ人(ヘブライ人)の側面から見て、いろいろ検討している、この箇所が面白いのである。今の我々から見れば、いたって奇想天外であるが、さにあらず。僕のように、老人になって、死もまじかに迫ったものが読めば、実によく書かれている。と言うことが、明確にわかるので、書くのである。一番重要な点は、「死」と言うテーマであるが、真正面からそれに挑んでいる。それは、「死」を悪魔と呼び、「生」の代表たる神と対峙させながら書くのであるが。それは基本的には、誰もが持っている、死に対する恐怖を前提にしている。冷厳に言い切れば、死なない人間は一人もいない、と言う現実に聖書は挑戦している。第二章の14節。「死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし」が、聖書を編纂する人たちの絶対的なテーマとして、表出するのである。それは、今も変わる者ではない。要するに、「死に神・悪魔」への宣戦布告といってよいであろう。約2000年前、人類は人類共通のこの大問題に、挑戦していたのである。その記録が、聖書だと思う。そこに、永遠の生命も、書かれる。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

これもスイスの首都ベルン。全て実写。どちらかと言うと、右サイド建物方向にベルン駅がある。初めて行った場所で右も左もわからず、ウロウロしているうちにここにいた。が、わかってしまえば狭い街で単純に真っ直ぐな街なので、もう一度行ってみたいな。

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