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2019.07.19

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十七)

 言うまでもなく。京都火災の因果を説明できるわけでは無い。こう言った局面は、当然厳格な神学の局面でもあるが、神学者でない僕が、答えることはできない。次元が違うと言っても、身辺にある事件である以上。無視はできないクリスチャンの僕は、因果の説明はできないのが、残念である。いい年をこいて、無力である、と言うことほど残念なことはないが。犯人が埼玉県に住んでいた、と言うネット上の報道は、これで、いよいよ新聞時代も終わりを告げる、と言う経験をする。ともあれ、犯人をネット上で、見たので。これ以上は言えないが。その時点に至った人として、彼が精神異常者(精神科医から見て)でなければ当然死刑なのであるが、そのことより。僕は、彼は。あれほど燃えるとは、想像できなかったと、思う。僕は、建築設計にいたから、防火区画の意味を心得ているが、僕が関係していた設計会社も。かつて大火災を発生させ。それで、消防法と散々渡り合って、と言うことは知っているから。やはり、犯人の不幸、と言うものは、因果の涯であると言うことがわかる。犯人が、特定の人を狙い、特定の理由でそれを実行する、と言う比較的単純なものは、犯人の立場も理解できる場合もあるのは当然である。だがしかし、実行した犯罪者と、できてしまった結果との、矮小化された犯人の欲求不満や、思い違いがあったにして。その結果は、犯人の予想をはるかに超えていることと、想像してしまう。そう言う意味では、放火というのは、非常に危険な犯罪で。あり、それを面白がる精神異常の人も、いると聞くが。どうも、今回の犯人は。粗忽者で、そう言った想像力に欠けていて。自分がいかに恵まれていても(些細なことで)、それを理解できない。のだと、思う。で、そう言った人間が、どうして出来上がるのか。要するに、何事も社会化されたモデルが、あって。それに、自分は合致していない、脱落者だと、勝手に思い込む人が増えているのではないか。俺は、あいつよりましな人間で、などと誰が決めたのかどうか、わからないが。それには、確かに。確かな、社会モデルが。存在することも確かである。この、テクノロジー的に向上せざるを得ない、現代社会の進化論的なモデルは、僕のようなキリスト教徒的原始的モデルで生きている人間には、あまり縁がないことなのである。と、いわざるを得ない。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

これは以前にも掲載したかな。これがチューリッヒの地味な駅の実写。しかも、時刻表はいたって簡単。だと、あとでわかる。毎日、大した本数もなく、臨時などという便利なものもない。きっちと毎日、決まって汽車は出て行く、また戻ってくるのが、スイス観光のしびれるところ。要するに、無理がない。日曜日は教会へ。という習慣が、長い間身についている国なのである。

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